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蕎麦屋の記憶

あなたに思い出のお店はあるだろうか。
誕生日を祝ってもらったお店、大切な人と記念日に行ったお店、何の気なしに入ってみたらとてもおいしくて常連になったお店…。
私にはとても大事なお店がある。大好きだった人と行った蕎麦屋。人通りの少ない、知る人ぞ知るという感じのお店。どうあがいても追いつけない、遠くに行ってしまったあの人との大切な記憶。

修士論文の提出前最終発表が無事に終わった今日、なぜか無性に行きたくなって迷う間もなく足はその店に向いていた。こんな足元の悪い日に。一人で。ずっと遠くに感じられる、でもたかが2年半前の記憶をゆっくりと遡りながら。

彼は確実に私の運命を変えた人だった。彼に出会わなければ私はコンサルティングファームに就職しようなどとは思わず、存在すら知らなかったかもしれない。もちろん就活関係で出来上がった今の交友関係もなかっただろう。私の生きる目的は違っていただろうし、私が今思い描く将来の夢はアイデアとして浮かぶことすらなく私の心を躍らせることもなかっただろう。私は、この分岐を選べたことを感謝している。あの日の私に。あの日の彼に。

なぜか無性に行きたくなった、とさっきは書いたが私がそのお店に行きたくなった理由は明白で、彼の近況を最近人づてに聞いたからだった。彼はこともなげに二人、いや三人分の人生を一人で送っているそうだ。どんなに私が頑張っても追いつけないスピードで進化を遂げる彼に、私はただただ畏敬の念を抱くことしかできなかった。そして同時にある種の関心が薄れるのを感じた。畏怖と無関心。入り混じったその感情が私をあの蕎麦屋に向かわせた。

あの日とは何もかもが違った。あの日は晴れて暑かったし、今日は雨で寒い。あの日は二人だったのに、今日は一人。あの日は空いててお客は私たちだけだったのに、今日は団体客と私だけ。でも、そば茶の味は変わらなかった。大丈夫だ、私はもう虚構を追うことなく自分の人生を切り開いていける。

あの人は何もかもが違ってみえた。あの日の私には。


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