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気分どんより?

今、ものすごく人生の分岐点にいる気がする。
突如こんなことを言い始めるなんて本当に馬鹿馬鹿しい話なんだけど。
大体日記ではなく確実に不特定多数の人から見られるような場所でこのようなことを言うのが本当に馬鹿馬鹿しい話極まりないんだけど。

日記ほどプライベートではなく小説ほどフィクションではない。ただ他人に自分の考え、思想を見てほしい、知ってほしいというただの承認欲求の塊。それがエッセイ。でも、そのエッセイで救われる心もあるらしい。カタルシスという言葉がある通り。

ということで少し、心のデトックスというものを言語化によってしてみんとてするなり。

さあ、人生の分岐点とは具体的に何か。今、自分はパラダイムシフトに自分が順応してないことにすごく憤りを感じている。ライフステージが徐々に変わり始めていってることに対してどのようにマインドセットをしていくかでこれからの人生が左右されそうだと感覚的だがひしひしと感じてる。
元々自己肯定感が低く、自分のことを過小評価してしまう癖がある。だからこそ憧れとする人を自分の中に設定し、自分が理想とする姿をその人と照らし合わせながら想像していった。これを実現するために一応自分なりにストイックに頑張ってきたつもりだ。目標はより具体的なほうがいいと思い、目指す大学、習得する資格、就職先などを設定し、それを実現してきた。なにもない自分だが、目標を設定してた当時は、一応周りがすごいと思うことを自分のものにすることで何か変わるのではないかと信じてる自分がいた。

しかし、今このように目標を達成した先が見えていなかったという現実に直面してしまった。私が今までやってきたことは憧れの実現で、そのゴールというものがあまりにも短編的で実現した先の未来がなかった。だから実現したとしてもその先の目標というものがないから心に輝きがない。私が成し遂げてきたのは、憧れる人たちが大きな目標を目指すうえでのただの通過点の一つでしかなかったのだ。本当になんて悲しい人生なんだと思う。自分という人間の薄っぺらさに落胆してしまう。もちろん下を見れば人はたくさんいる。がしかし、それを知ったところで心が安定するほど単純ではないし、素直ではない。

しかし、ここで気づいた。どうして自分がこんなにももやもやしているのか。
年数を重ねていろんなことを経験していろんな人にあって自分の思考もだんだんとませてきた。目標は一応あった。しかし、実現するうえで自分の能力というものを否が応でも悟ってしまう。物覚えがいい人とそうでない人、国語力が高い人とそうでない人、そもそもの話、地頭がいい人とそうでない人。直感ではあるがそれぞれの自分の能力を-10から+10までの指標で測ってきた。

すると”現時点での”自分の能力に合わせて”現実的な”目標というものを設置するようになる。たくさん成し遂げたいと思ってる目標を無意識ながらに取捨選択していた。おそらく直感的にがむしゃらに頑張っても現実的ではない、と思って本当に目指そうとしていたところにしっかり目を向けていなかったのかもしれない。目の前の目標を成し遂げるべく頑張ってた期間に、本当に目指すべきところ、しかし”現時点での”私では実現は難しそうなところが雲隠れしてしまっていた。
そして今、今まで設置していた目標というのをとりあえず一通り成し遂げた。目標のレベルアップをしなくてはならないしそもそも自分が目指していた姿を見直さなくてならない。

つまりは限界突破の時期が来たのだなと実感した。そう意味で人生の分岐点なのだ。

私が尊敬する稲盛和夫さんは「生き方」という本に成功の法則をこのように定義している。

成功=考え方×熱意×能力

”成功”しなければならないところのレベルが上がったがしかし、それに伴う能力が自分には足りない。けどそれを補うだけの熱意(努力)もできてない。そもそも熱意の着火の仕方もわからない。そもそもチャッカマンすらも持ってないような状態。もしかしたら今は燃え尽き症候群真っ最中なのかもしれない。なのに、卒論というものをやらなくちゃいけない。人生こんなことの繰り返しかもしれない。
なんだか集中力が切れてしまったのでまたの機会に熱意の出し方でも考えていこうかなと思う。

一人の戯言に付き合ってくださりありがとうございました。
では、また✋😊

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