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キャリアなど無用、すべてやりたいことだった

私は、キャリアという言葉を意識して生きてきませんでした。
そのせいか、キャリアという言葉には否定的な感情をもっているのかもわかりません。
私はキャリアという言葉の前に、自分でやりたい仕事があるだけでした。
ただし、キャリアを主観的なキャリアととらえれば、話をすることができます。
なぜ自分は、総務や人事の仕事がやりたかったか、という理由があるからです。

総務の仕事を求めて転職活動を始めましたが、その理由は、新卒で入社した企業の総務担当者の対応でした。
福岡へ転勤するときに、自分で希望する住宅をみつけていましたが、総務担当者は、社宅規定にない条件だ、といいました。
私は、社宅規定を超える賃貸料は自己負担する、と言いましが、この担当者はできないの一点ばりでした。
総務部門の上司へ相談してください、といっても、それもしない担当者でした。

困り果てた私は、自らが所属する部署の上司へ相談して、なんとか自分で決めた住宅へ入れました。
私が単身で異動するのなら、社宅規定の範囲で決めてください、と言われれば、そうするでしょう。
妻がいれば、妻の希望を聞いてあげるのは当たり前です。
しかも、社宅規定を超える賃貸料は自己負担するといっているにかかわらず対応しようとしない担当者に対する不満がありました。
この担当者に現場の人間に寄り添う感覚はあるのか、と疑問をもちました。

私は転勤に対して言われた瞬間に、「異動します」というタイプです。
決断しかありません。
迷いなど無縁です。
理由は、入社するときに転勤があるが、大丈夫かと言われて、大丈夫です、と自分の言葉で話していたからです。
私には、二言がありません。
転勤時、妻に相談することもありません。
自分の仕事だからです。
だからこそ、異動先で住む住環境だけは、妻の意見を最大限尊重します。

こんなことなら自分が総務の担当者となり、総務部門を変えてやると思って、総務部門へ異動願いを出しましたが、この企業で異動はできませんでした。
現場を知っている人間が管理部門の仕事をするべきだと、かなり軽薄な行動で転職へ踏み出しました。
誰もがあきれるような本当に単純な動機です。
もっと簡単に言えば、総務の担当者へ頭にきただけです。
そしてソニー子会社へ入社するのですから人生はわかりません。
さらにソニー子会社で存分に暴れさせていただきました。
もっとも、ソニー子会社の社宅に関して言えば、私の心配はいりませんでした。
社宅規定はありましたが、転勤者を尊重するという現場主義が貫かれていました。
こうして現場を知る立場からあらゆることに挑戦させてもらいましたが、自分が考えていたちっぽけな転職動機など吹き飛ぶくらい徹底的に仕事をさせていただきました。(しごかれました)
我を忘れるまでに。。。

キャリアデザインとは、そもそも長い時間幅で自分の仕事上の歩みを自分なりに構想し計画しようとすることだと言われています。
いってみれば、仕事における自分の未来の轍をつくるようなものでしょう。
デザインするといっても人生の長い時間軸を考えれば、それほど簡単ではないでしょう。
人生における長いキャリア全体を描き切る人など、どこにもいないからです。

私は、その意味で主観的なキャリアという点でしか、キャリアをみていません。
しかし、一方で仕事をしていますから、ホームページなどに客観的キャリアを網羅的に記載していますが。。。
それでも仕事をしていくうえで、取引先の経営者から話を伺う場合でも主観的なキャリアをベースに話をしています。
どうしてか。
人生や仕事における転換点などには、節目というものがあり、これから先のことでなにか考えている自分(経営者)がいる、と思っているからです。

私が、どうして転職したかったのか、お客様(経営者)は、なにを望ん(したいのか)でおられるのか、といったことは、客観的なキャリアからではわからないからです。
人や企業の経営者が、いろいろな節目をどのように活かすかということを考えるのが、キャリアデザイン、あるいはマネジメントデザインなのではないか、と私は思い続けてきました。

私(経営者)の主観的「動機」が大切なのです。
人間は、動機によって行動することで、偶然が、必然へ変わっていくという不思議さがあります。
キャリアデザインというのは、人間に起きるいろいろな節目を大切にしていくことかもわかりません。

仕事や家庭生活おいて自分の動機を育てて、どこかで行動できるようにするか、あるいは私のように自分の感情を動機として行動することで、チャンスを呼び込むことができるかどうかが、節目には必要なのでしょうか。
私が思ったくだらない動機が、自ら行動することで、自分が考えている動機以上の仕事をさせてもらえるという偶然(幸運)と出会いが、私の人生を転換してくれました。

大半のキャリアは、「計画された偶然」のうえに成り立っている。
スタンフォード大学 ジョン・クランボルツ教授

私の偶然との出会いは、計画されたというには、あまりにも知性がない思い込み(唯我独尊)だけでしたが。。。

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