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トランジッションと思われる現代社会

人に人生の節目や仕事の節目があるように、世の中にも同様な節目の構造があるのではないか、と私は考えてきました。
今の様相などは、まさにトランジッション(転機)と言える時代なのかもわかりません。

強固な仕組みにみえていた組織や人たちに、なにかが終わろうとするような状態が発生しているようです。
この後、しばらく混乱や苦悩の時期が続くのでしょうか。
そして、この混乱の中から新たなものが生まれてくるように感じています。
もっとも、このような混乱や苦悩の時期は、人間にもあるでしょう。
しかも、必ずよい方向へ生まれかわれるわけではありません。
そこが、むずかしいところかもわかりません。

それでも、人には、一旦なにかが終わったという終焉を認識しながら、途方にくれたり、宙ぶらりんな感覚になったり、空しくなったりしながら、徐々に新たは始まりに向けてしっかりと気持ちを統合していく時期が必要だ、と言われています。

社会も人が作っている以上、同じような状況にあると、私は思っています。
その認識が必要であり、ある程度負荷がかからないと、制度や物事は変わらない、変われないのでしょう。
人生に変化ということが不可欠であれば、社会にも変化が不可欠となるのは自明でしょう。
社会構造にも、人が介在しているのですから、当然相応なストレス(負荷)が必然的にかかっているのではないでしょうか。

この点では、デジタル化による情報の拡大は、これまで強固で壊れないと思われていたものを壊していく力をもっているようです。
ただし、時代にそぐわない強固なものが壊れていくことはよいことでもありますが、そんななかで、新たなものをどのように作るかが、これまで以上に私たち自身に課せられた時代になってきたように思えます。

社会の中にあっては、社会の中枢を構成する人たちは、自らの主観的キャリアをベースに、これまでの長期的な歩みや働きを自分なりにどのように意味づけしていくか、そこにどのようなパターンを見つけるか、今までの働き、歩みから将来をどのように構想し展望するかが、問われている時代ということになるのでしょうか。

人の人生が転機を境に変化していくように、社会構成や構造の転機、いわばその構成員たる人たちの変化によって、新たな社会構成や構造が生まれてくるのは、ある意味、必然なことでしょう。
おそらく、混沌とした時代だからこそ、これから新しい社会を作っていかなくてはならないと想像されますが、新たな社会の中枢で働いていかれる人たちが、よい拠りどころをもっておられることを期待したい、と考える今日この頃です。

なにかが終わるということは悪いことばかりではなく、新たな芽が出てくる可能性を秘めた時代ということになるのかもわかりません。。。

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