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瀬戸弘司の「ラジオの身体」に思う

昨日、僕の大好きなyoutuberである瀬戸弘司さんが今までにないような自分語りの長編動画をアップしました。そこには、僕が今まで観てきた子供達が好きな瀬戸弘司さんではなく、自分自身を見つめ直した大人の瀬戸弘司さんの姿がありました。

ラジオの身体??

聞き覚えのない単語に戸惑いましたが、さすがは瀬戸弘司。僕たちのように知識や思慮深さがない人間でもわかりやすく教えてくれています。といっても、一度さらっと聞いていた僕にはなんとなくしか理解できていませんが。

でも、YouTubeって真剣に見ること、僕は少なくなってきました。なんかつかれるっていうか。テレビも同じかもしれません。大人になるにつれてアニメやドラマを観続ける体力がなくなるように、最近は一つのコンテンツに夢中になることを「つかれて」しまっているような風潮があります。

一方で、TwitterやTikTokのようなliteなSNSは相変わらずですよね。140字の制限や、短い動画の枠の中で面白いことをしようとするのは、一発ギャグ的でいかにもわかりやすい娯楽だと思います。ある意味、つかれません。

でも、SNSやYoutube、映画、漫画、雑誌、なんでもいいけどどんな娯楽にもネット上で簡単にアクセスできるようになり、飽和してきたこの環境に人々は慣れ、そして娯楽過多によって逆に疲労してしまっている気がします。一つのコンテンツに対する集中力がないこと、無数のコンテンツがありすぎること、どれも疲れる原因になってしまってるんですね。

瀬戸弘司さんがいう「ラジオの身体」っていうのは、肩肘張らずに配信者も見る側もやっていこうよっていう、ある意味ゆるーい宣言だと思って解釈します。けれども、ゆるく、楽に物事をするのってそこまでにすごく難しさがあるってことをこの動画では解説しています。

例えば、配信者として視聴者に求められているコンテンツを作らなければっていうネタ思考になること。決して悪いことではないけれども、結果として見る側は集中して見ることになりますから、面白いコンテンツであってもつかれちゃいますよね。全部が全部ゆるいコンテンツじゃなければいけないということではないですけれども、確かに普段の生活に寄り添ってくれるラジオ的な存在が求められている気がします。

僕は、youtubeでもSpotifyでも配信している、「Lo-Fi HIP HOP」をよく流しながら勉強したり、寝たりします。普段の生活や仕事につかれているからこそ、語り動画やだらだらしたゲーム実況、なんでもないBGMにひかれるのかもしれませんね。

まとまりがないですけれども、とにかく瀬戸弘司さんの語りは人を納得させる力があり、物凄い知識量と説得力で見応えのある動画ばかりです。ぜひ観たことのない方は一見していただけるといいかと思います。

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