日本製鉄㈱名古屋の生産設備投資の失敗事例。死屍累々です。

名古屋地区に重工業を花開かせる先兵として東海製鐵㈱が設立された。製鉄所から発生する副生ガスを利用した石炭化学工場を計画するも東海製鐵の工事中断がその計画をとん挫させ、東レ・東海と姿変えて残っている。
名古屋製鉄所は当時としては近代的な工場レイアウトを考えたが、同時期に建設が始まった八幡製鐵㈱君津製鉄所に大きく水をあけられていた。君津は製鉄所内の物流を管理する計算機システムが導入されており、スラブ、コイルの工程の進捗・量管理はIBMのコンピューターで管理されていた。君津はスラブ、熱延、冷延コイルのコイルナンバーはクレーンの運転手は運転室の端末機で把握していた。数年後、名古屋に赴任すると工程マンが地上で確認しながら、クレーンマンに指示していた。スラブやコイルに挟まれて、死傷者が出ていたことに驚いた。知多市にIHIの造船所が出来たので、厚板工場を建設するも、君津の厚板に勝てなかった。
継目無し鋼管が当たり前であったが油井菅で挑戦するも需要量や価格が変動することに対応できずに、継目無しに勝る油井管を実現出来ず。アルミと死闘を繰り返していた飲料缶用鋼板も東缶工業におだてられてフィルムラミネートにトライするもPETに漁夫の利を持っていかれた。1ライン建設で終わらず、2ライン建設は恥の上塗りでした。
溶融亜鉛メッキラインではクライスラーの要請で片面亜鉛メッキに挑戦していたが、片面化の途中で片面をベルトサンダーで研削する非効率な製造をしていた。次にトヨタからの要請で強プレスで亜鉛の剥離を減らすための電気亜鉛メッキラインを造ったが、一ラインでエクセライト、ジンコートの2種類のメッキ鋼板と自分で自分の首を絞める愚挙を行った。

高炉送風の脱湿、水分添加を繰り返す
製銑部長会で「高炉送風中の水分を減らすべきか、増やすべきか」が水かけ論を繰り返していた。水分を減らすべきだという意見が優勢な時に脱湿装置を数億円かけて設置し、水分を増やすべきだという意見が優勢な時は水分て添加スプレーを設置した。どちらが効果的か不明なままです。


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