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旅のバス(3月13日の日記/2024年)。


今日は私用で浅草へ。
帰り道、バス停でバスを待っていると、後ろに並んだ老人からなぜか話しかけられ、なんだか人懐こい楽しい人で、私は相槌を打ちつつ一緒に乗りました。 少し不思議な人だったのです。

その人は、毎月一度浅草に芝居を観に来ていると言い、芝居を見ることがどんなに面白いことか、それが人生をどんなに豊かにしてくれるかを、嬉しそうに楽しそうに教えてくれました。 私は自分が演劇の仕事をしていることを言うタイミングのないまま、その楽しい話をずっと聞きました。

「ずっと以前から芝居見物がお好きなんですか?」 と聞くと、
「いや、80になってからくらいだね。70代の頃は自転車に乗ってたよ」 と言うのです。
「スポーツ用の?」
「そうだよ、よく湘南まで行って走ったもんだよ」

芝居、自転車、湘南。 偶然だな、不思議だな。
私はやはり自分の仕事のことを話そうかと思いました。その時彼が、
「お互い名前も知らない、仕事も知らない同士が、こうやって楽しく話す。良いよねー、楽しいよね」
と言うのです。

私は芝居をやってて、この10年と少しは自転車の芝居をしてて、その芝居は今、湘南をスタートした長いレースを走ってる。 その私に話しかけてきてくれた老人。

「走るのは70代でやめちゃったけど、まだ自転車は家にあるよ」
「湘南から、箱根の方に走ったりとかします?」 と聞いてみました。
私の作っている自転車の芝居は、湘南から箱根へと向かうからです。
「箱根へはいかなかったな」
そりゃそうか、そこまで偶然ばっかり続かないな、と私は思ったのです。 「箱根じゃなくて、よく行ったのは、別の街だよ」
と、彼は、ある街の名を言いました。

その街は、私の妹が住んでいる街です。 自転車で行くにはかなり遠い街です。 何時間もかけて、そこへ行くんだと彼は言いました。
直線距離で何キロといっても、実際の道は曲がりくねっててもっと遠い、でも仲間といっしょに走ると、パンクしても故障してもなんとかなるんだ、心配ないんだ、楽しいよ、
と、彼は教えてくれました。

私は、演劇の仕事について悩んでいることがあります。
20年以上も前の劇団解散から立ち直っていないし、今だって、一人胸に飲み込んで人に言わないような辛いこともある。
そんな私が、 そのツラさをもう一段、振り返らねばならないような日だったのです、実は、昨日と今日は。
そんな日に、こんな老人に出会うとは。

昨日今日と、昔からの友人に立て続けに会いました。
今日は妹にも会った。
友人たちに、良いことができる人になりたい。
特に妹とのことは、いつか何年かかっても回復したい自分の落ち度があります。
それを悩んでバス停に立っていた私なのでした。

「人生は楽しいよ」と老人が言います。
「そうだ、今日ご覧になった芝居は、どうですか、いい出来でしたか?」
と私が聞くと、
「いい出来もわるい出来もないよ、芝居を見ると幸せなんだ、見た芝居のことを客同士で話すのがまた楽しいんだ」
と、彼は言いました。

芝居を見ると幸せなんだ
というその言葉を忘れないと思いました。
道が曲がりくねってても皆で走ると心配なんかない
この言葉も忘れないと思いました。

気づくとたっぷり40分、私は老人と話していて、 彼は飛鳥山のある街で降りて行きました。降りるちょっと前、
「ほら、都電が見えるだろ。あのあたりに『都電もなか』の店があるんだよ」
と教えてくれました。
「妻があまいもの好きなので、今度買いにきます」
と私は言いました。

話しながら、ただ帰宅するためだけだったそのバスが、素晴らしい温泉地へゆく旅のバスのように感じていたのでした。
彼は手を降って、バスを降りていきました。
神様が私に声をかけてくれたんじゃないか、と、夜が更けた今、感じているのです。

彼が降りて15分後、私も自分の街でバスを降りました。
老人が私にくれたバスの旅を思い出しています。
今度、都電もなかを買いに行こうと思います。
あっそういえば! わずか3日前、いただき物のもなかサンドを姫と2人で食べて、「美味しいね」って言い合ったところだった。

友人と家族がいることは私の幸福だし、 私がいることが友人や家族の幸福でありますように。 しくじることはあるけれど、 それでも人生をやっていこう。 眠ります。おやすみなさい皆さん。

写真撮ってなかったので、これは3年前の夏の浅草です。↓


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