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関西演劇祭2023全上演感想/餓鬼の断食『或る解釈。』

餓鬼の断食『或る解釈。』ゲネプロ。

これは凄まじい。星雲となるほどの言葉の星の海から、星座が見えてくるような。非見ていただきたい!

餓鬼の断食『或る解釈。』初日。

高速で膨大な会話の内容を、聞き取れる時も聞き取れない時もある。
そのことが、目に見えなくても、耳で捉えられなくても
この世界に存在するものはあると、痛切に感じさせます。

それは突き放したようでいて、
世界や時代の片隅で生きる私達にとって、とても優しいことなのです。

膨大な会話の時だけではなく、
時折訪れる沈黙の時、彼らの心の中ははもちろん観客にはモノローグなどでは説明されません。
その時彼ら心の中で起きている何かは大切で、
その説明を友人が求めないことも大切で、
それは互いの未来を、自分たちの未来を作る意思があるからこそできることで、
それを守り合っている彼ら友人たちはとても賢く、優しい、熱い仲間なのでした。

あなた方にわかってもらうことも大切だけど、僕らだけにしかわからないことも大切なのだ。
友達にわかってもらうことも大切だけど、自分にしかわからないことも大切なのだ。
私にしかわからないことを、わからないままで友達でいてくれる友達がいることもあるのだ。
そのことが、
黙して感激している私達観客の心も大切にしてくれている気配に繋がったりもしました。

そんな、優しく熱く、賢く頼もしい若者たちの姿を見ました。
若者とは、未来と同じ意味なのだと思いました。

餓鬼の断食『或る解釈。』2ステージ目。

ゲネプロから数えて3回目の観劇です。
実に面白い。
何度見ても面白く切なく希望を感じるのです。

この作品は、ケレン味のある展開や演出がなく、
ただの雑談のような会話が
「普段のテンションで」「日常の語彙で」行われる45分なのです。
演劇の常識からすれば、「物語がない」と言ってもいい。
ところが、見れば見るほど、切ないほどに、
ダイナミックに心が動かされてしまうのです。

私にはまだ分析しきれていませんが、
おそらくこれは、巨大な大切な物語のとある45分であり、
その45分の1分1秒の細部に、
彼らの悲しみ・喜び・夢・希望・孤独・優しさ・覚悟・怖れ・すべてが、
常にやどっているからなのかも…と私は今のところ考えています。

ケレン味のある展開や演出がない、と先程書きましたが、
この光景1発で45分を通そうとすること自体が、
ものすごくケレンのある演出であり、
日常を生きる我々がこの45分に出会うことは凄まじい「展開」であるとも言えますね。

なんど見ても、登場人物のひとり・ショウの、最後のセリフと立ち姿と、
その姿を選んだ演出に
胸が熱く爆発しそうになります。

この作品を作った人たちと、
その友人たちがいる時代に、
私達がいるのだということを幸福に感じます。

あと、驚くのは
こんなに普通の感じの、何気ないようにも見え続ける会話と仕草が、
何度かステージを見ると、
めちゃめちゃ精密に設計されていることがわかります。
驚きです。

関西演劇祭、餓鬼の断食『或る解釈。』3ステージ目。

無数の言葉の星空の中に、
好きなように星座を見つけることができる芝居だと、
ゲネプロの時に私は思いました。

そこから3ステージ見ているうち、
私の目に見えてくる星座は、
やはり「優しさ」の星が繋がった、
大きな羽ばたく鳥のような図形でした。

今回の演劇祭は、
たくさんの作品の中に優しさを見つけました。
そういう時代になっているのかもしれません。
それとも見ている私自身が、それを見つけたがってしまっているのかな?
わかりませんが。

5人の若者たちが、
客席を一切意識せずに過ごすとある45分。
客席を意識しないということが、
逆に客席への優しさに立脚しているのだとも思い至りつつ見終わる頃。
とつぜん一人が明確に客席に向かい
「時代は俺らがつくっていくんや」
と頼もしい言葉を投げて、
そして5人は車に乗ってどこかに出かけて行ってしまう。

きっと次の時代へと、次の世界へと出かけていったんでしょう。
もうこの時代には戻ってこないのでしょう。
彼らが優しさを残して去った、まだ暖かな散らかった部屋に
私は取り残されながら。
彼らの旅に安全よあれ、祝福よあれと願わずにいられませんでした。

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