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私の先生

以下の記事にも書いたが、大学生の頃、「カリブ海地域文化論」という講義に出席していた。

私はキューバの作家、レイナルド・アレナスの作品にとても影響を受けていたので、シラバスでこの授業を見つけて迷わず履修登録した。
先生は他大学の専任で、私の通う大学にはその授業の時だけ来ていた。
毎回、カリブの島々に関する映画や小説を取り上げ、作品やその土地の歴史や人々について、自由に話すスタイルだった。
授業が終わると、いつも、先生と受講生(数人しかいなかった)で近くの台湾料理屋に行った。

ある時も、おいしい台湾料理にありつくために、先生を含め数人でキャンパスを歩いていた。
どんなきっかけがあったか思い出せないが、先生がこう言った。
「講義室の机の下にゴミを置いていく奴がいる。それを掃除係の人が片付けることになる。許せない」
私は深く共感した。同時に、自分の正義をそのように明言することに驚いた。そんなささやかな、でも譲れない正義を。

その後、私はもっと学びたくて、先生のゼミや個人的な研究会に参加させてもらったりした。

小学校から高校まで、私の記憶に残る教師はいない。「先生」と呼びたいと思う人はいなかった。
ただ、大学時代のこの先生だけは、今でも雑誌に寄稿しているのを目にしたりすると、「〇〇先生」と心の中で思う。
もう5年以上連絡をとっていないが、今も私の先生だと思っている。

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