見出し画像

【幸せな人生】4年板倉駿


皆さんこんにちは。
日々のトレーニングで体の衰えをひしひしとと感じている、板倉駿です。
今回はこの貴重な機会をお借りし、これまでの想いを綴らせていただきます。
少し長くなってしまいますが、コバ(小林)よりは短いので最後まで読んでいただけると幸いです。


このブログを読んでいる全てのサッカープレイヤーに質問です。
『あなたはどのような思いで(目標を持って)日々サッカーをやっていますか?』
決して正解はありませんが、きっと様々な答えが出てくると思います。

僕は高校生の時は、
「インターハイ、選手権で試合に出て活躍する!」
「サッカーの強い大学からスカウトを貰うぞ!」
「将来プロになって色んな人に恩返しをしたい!」この目標を常に意識しながらサッカーをやっていました。
まあ、この目標はひとつも達成することは出来ませんでしたね。。。(笑)

大学2年が終わる頃まで、僕はなかなか明確な目標を持つことができませんでした。
どんな思いでサッカーをやっていたか振り返っても、分からないくらい何も考えていませんでした。

1年生に時は、公式戦に出場するどころか、ベンチにも入れず、スタンドで応援orボールボーイをしていました。
公式戦後の練習試合でも、40分1本や35分1本の限られた時間しか出場することができず、
「毎週毎週何のために練習してんねん」と思いながらも、毎日早起きをして朝練をしていました。
2年生では、想像もしていなかったコロナ禍となり、半年以上も練習ができず。
この時は、特に明確な目標もなく、「練習ができることに感謝しないとな。でも、もっと試合も練習もしたいな。」と軽く思いながらサッカーをやっていました。
こんな感じで、何も考えず日々のトレーニングをしていたらあっという間に、大学サッカーの半分が終わってしまいました。


3年生になり、ようやく明確な目標を持つことができました。そのきっかけをくれたのは『両親』です。
3年生になり、少しずつ公式戦や練習試合に出場する機会が増えたので、自分が出場している試合映像を家族のグループLINEに転送しました。
そしたら、父から長文で試合の感想とアドバイスが送られてきました。

「それがなんだ?」「普通では?」「感想でしょ?」と思う人もいると思うので軽く説明することにする。
父は、僕が生まれる前から高校サッカーの指導者。
そのため、僕の試合と父の高校の試合の日程が重なることが多く、僕の試合をスタンドから観た試合は数えれるくらい少ない。
それでも、忙しいのに観にきてくれてありがとう。観てくれてる時は、普段の倍くらいやる気が出てた。本当にありがとう。
(対戦相手の監督としてベンチで僕の試合を観たり、時には練習試合で主審として観てくれることは結構あった)


そんなこんなで、あまり僕の試合を観て、アドバイスや感想をもらうことがなかったのに、送られてきた長文。
なんて言われたかは覚えていないが、めちゃくちゃ嬉しかったのは覚えてる。
また、母とたまたま電話をしたときに、
「お父さん、嬉しそうに試合の動画見てるよ!」「上手くなったなって言ってるよ」「家で2人で話しながら見たよ!」と聞いた。

この出来事こそが、目標も何もなかった僕の大学サッカーに、明確な目標をくれたきっかけです。
この時から僕の大学サッカーでの目標は「両親に頑張ってる姿を見せること」になった。
プロにも程遠い実力。TOPチームにも上がることのできない実力。これは紛れもない事実です。
それでも、試合に出て頑張っている姿を見せることは出来る。
残り2年間。この目標に向けて頑張ることができたと、引退を間近にした今だから思うことができる。
2年間のうち、10ヶ月ほどは「椎間板ヘルニア」になってしまい、そこから手術することを決断し、
必ずまた試合に出て頑張ってる姿を両親に観てもらうためにも、必死にリハビリも行った。


練習に復帰できた時には、引退まで残り5ヶ月になっていた。
ようやく公式戦に出場することができたのは7月16日のIリーグ、VS流経大との試合だった。
この時点で残り3ヶ月で引退。公式戦は残り8試合。あっという間に引退だ。
残り8試合になったのに試合に出れない日々が続いた。
試合に出れるようになった時には残り3試合になっていた。

何が何でも死ぬ気でやるしかなかった。
全てはこれまで支えてくれた全ての人に恩返しするため。
「両親に頑張ってる姿を見せる」と決めた目標のため。

そんな中で迎えた、明治大学とのリーグ戦。
どう考えても格上の相手だった。それでも全てを出し切った90分間。
身体を張ってシュートブロック、チャンスと見ればダッシュで攻撃参加。
試合に出たメンバーだけでなく、ベンチメンバー、応援に来てくれた仲間、みんなで闘った90分間だった。
勝つことは出来なかったけど、0−0の引き分けで終わった。
 



試合後、気づいたら涙が出ていた。

「勝てなかった悔しさ1割、しんどかった気持ち1割、楽しかった思い8割」の涙だった。
サッカー人生、過去最高の試合だった。
『こんなに楽しかったって思える試合の映像を、早く両親に見せたい。』そう思って送信ボタンを押した。
父からはLINEでは特に何も言われなかった。でも、直接会ったときに、ちょっと嬉しそうな表情で褒めてくれた。
母は、電話で話して優しい言葉をくれた。


頑張って良かった。サッカーやってて良かった。最高の両親の元に生まれて良かった。幸せな人生だ!
サッカープレイヤーとしては大学生でラストですが、後悔なし。最高のプレーヤー人生でした。



最終節はボコボコにやられたので、あまり触れないで下さい。(笑)



サッカーの話は、これで終わります。
「コバ(小林)よりも長いな。」と羽地君も思ってると思いますが、最後ですのでお付き合いください。


僕にはたくさんの夢があります。大きな夢から小さな夢。もちろん全部叶えたいです。
これから大学を卒業したら、僕は海外に行きます。
シンプルに言えば、『挑戦』です。言語も文化も肌の色も違う場所に行き、夢に向かって突っ走ります。

夢は何個持っても、大きくても、小さくても、自由です。
でも、自分が持った全ての『夢』に『愛』を持ってください。
夢を愛すこと、そうすることで夢に近づくことができます。
僕は自分の夢を愛し、みんなの夢も愛したいです。
僕はそんな『Dream Lover』になりたいです。

最後になりますが、
矢野監督をはじめとするスタッフの方々、熱いご指導をしていただき、心より感謝申し上げます。
サッカーを心から愛することができました。

同期のみんな、絡んだ時間は人それぞれ違うけど、4年間ありがとう。
これから先、色々なことが待ち受けているとは思うけど、みんなの活躍を期待してます!!



家族へ

たくさん迷惑や心配をかけてきたけど、大きな愛でサポートしてくれてありがとう。
サッカーと出会わせてくれてありがとう。産んでくれてありがとう!!
ここではこれくらいにしておきます。(みんなに見られるのは恥ずかしいので)


ここまで読んでいただきありがとうございます。
色んな想いがあり、まとめることが出来ませんでした。
読みづらく、ごちゃごちゃになっていますが、許してください。

貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

このブログを読んでいただいた全ての人の『夢』が叶いますように。


名前:板倉 駿 (イタクラ シュン)
学年:4年
学部:スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科
経歴:帝京大可児中学校→帝京大学可児高校