見出し画像

2021年6月の北方領土での軍事演習のまとめ(3)

 半月振りのご無沙汰でした。この間、私のこれまでの記事(かなり独り言に近い)に、フォロワーの皆さんやスキしていただいた皆さんをはじめ、閲覧下さった方々による過分な評価を頂き、 たいそう喜んでおります。ありがとうございます。
 とりわけ、Проф Ю・Изымкоの御支援に感謝申し上げます。まさにСпасибо за вниманиемです。

 今回は、演習に参加した部隊についてです。まとめ(2.5)の小結論、(長くて、くどいので読み飛ばしてもらって結構です。ただ、私はこれがないと考える方向を失うのです)

この演習の背景・目的・想定は、「近い将来、台湾と朝鮮半島で国家間対立拡大した際、ロシアの極東正面の戦力は拘束される妥当性が高いことを背景として、これら戦力の増援に依拠しているロシア東部国境の島嶼部の防衛を目的とし、サハリンと北方領土に駐留する部隊が対着上陸作戦を想定した」である。

の「サハリンと北方領土に駐留する部隊」に関する考察です。

 今回はこの内、北方領土駐留部隊の①概要とその特性、②編制とその特性、③装備その特性、④部隊の歴史について調べてみます。
 当然、ロシアの軍事秘密なので確かなことは分かりません。報道によって異なる内容もありますしね。

①北方領土駐留部隊の概要とその特性
 まずは wikipediaのロシア語版から、北方領土に駐留する陸軍部隊である第18機関銃・砲兵師団の概要に関する記事の一部を引用します。

18-я пулемётно-артиллерийская дивизия — формирование (соединение, дивизия) ракетных войск и артиллерии Восточного военного округа ВС России.
Штаб дивизии расположен в посёлке Горячие Ключи на острове Итуруп. 18 пулад примечательна тем, что является единственным пулемётно-артиллерийским соединением в Вооружённых Силах, причём единственной нерасформированной дивизией Сухопутных войск при А. Сердюкове в ходе реформ 2008—2013 годов[1][2].
Условное наименование — Войсковая часть № 05812 (в/ч 05812). Сокращённое наименование — 18 пулад. Другое наименование Курильский укреплённый район.
 第18機関銃・砲兵師団は、ロシア軍東部軍管区のロケット砲兵部隊の師団級部隊である。
 師団司令部は択捉島ゴリャーチエ・クリュチ(投稿者注:瀬石温泉)村。同師団は軍唯一の機関銃・砲兵師団であり、2008~2013年のA・セルジュコフ(投稿者注:当時の国防相。部隊のコンパクト化を推進)改革で唯一解体されなかった師団として注目された。05812部隊、18pylad(投稿者注:機関銃・砲兵師団の頭文字)、クリル要塞地区とも呼ばれる。(https://ru.m.wikipedia.org/wiki/18-%D1%8F_%D0%BF%D1%83%D0%BB%D0%B5%D0%BC%D1%91%D1%82%D0%BD%D0%BE-%D0%B0%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%BB%D0%BB%D0%B5%D1%80%D0%B8%D0%B9%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%B4%D0%B8%D0%B2%D0%B8%D0%B7%D0%B8%D1%8F#)

  ややこしく書いてありますけど、要はロケットや大砲をメインにして戦う師団規模の部隊だと言うことだろうと思います。
 「要塞地区」との別名があるということは、防御部隊と言うことでしょうか?
 前提となっているこの演習の目的(島嶼防衛)と合致しているので、妥当性のある情報のようです。
  
 と言うことで、wikipediaロシア語版では、「要塞地区」について以下のように記されています。

Укреплённый райо́н, укрепрайон, УР — район местности, оборудованный в инженерном отношении для обороны, линия обороны в виде узлов сопротивления долговременных укреплённых позиций, находящихся во взаимодействии и образующих общую группу (десятки километров инженерных сооружений, различных заграждений, управляемых и неуправляемых минных полей)[1], а также формирование (воинская часть) составляющее гарнизон войск (см. Войска укреплённых районов) предназначенных для выполнения оборонительных задач[1][2].
要塞地区とは、防御のため工事によって設備された地区であり、全てのグループ(数十キロの施設、各種障害物、制御あるいは非制御地雷原)と共同下にある永久陣地の抵抗拠点の形態をとった防御ラインであり、駐屯地を構成する防御任務遂行部隊でもある。

(画像もhttps://ru.m.wikipedia.org/wiki/%D0%A3%D0%BA%D1%80%D0%B5%D0%BF%D0%BB%D1%91%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D1%80%D0%B0%D0%B9%D0%BE%D)

 どうやら要塞地区とは、マジノ線や日露戦争の時の防御要塞↓をイメージさせる施設のようです。

(旅順要塞写真集 二龍山堡塁背面の外壕http://www.sakanouenokumo.com/phot/ryojun5.htm)

 では、北方領土に防御要塞があるのでしょうか?あったです。(即答!)
 google earthを引用しました。

 前回アップした8月の対エア・クッション艇演習で射撃があったとされる択捉島のここ、単冠湾の沿岸部にありました。

 右下の砂浜に平行した緑色の藪の中に、歩哨用の俺体とそれらを繋ぐ塹壕らしい物が見えます。

 これも、砂浜と藪の切れ目付近に歩哨壕が走っており、高台らしい所に道路で繋がれた、恐らく大砲用の俺体(長さ25m)が3つ、沖に向いて作られています。

 前の塹壕線と後ろの塹壕線の間に円形の障害物らしい物があります。粘り強く防御しようとしているのが窺えます。

  何だ、最初からgoogle earth見とけば良かったですね。ちょっと見ただけで呆気なく見付かったので、しっかり探したら有りまくりだと思います。

 あまりがっかりせず、取り敢えずこれらの特性を押さえておきましょう 。

 まず、塹壕の画像がくっきりしていることや、道路に草が生えてないことから、土崩れの整備も施され、頻繁に使用されているようですね。大砲用の俺体なんかは、すでに「ここから、この方向で、この角度で、この量の発射用火薬で撃てばあの辺に当たる」みたいに準備してて、射撃修正がしやすくなっているかもしれません。

 また、塹壕の第1線が沿岸に近いことから、島の奥まで何重にも塹壕が構築されていることが窺えます(後で探してみますか、森の中だと分からないかも)。
 つまり、18師団はある程度離れた海上から島の奥までの面を戦場と考えており、敵が前進すればする程、障害物・待ち伏せ・包囲によって戦力を削ぎ落とそうとしているようです。次々現れる使徒みたいですね。
 
  何しろ、敵が択捉島を制圧するためには、オホーツク海に面する島内最大港湾施設があるのキトーヴィ港(投稿者注:内岡港、読みは
なよか)まで進出・奪取し、主力を陸揚げし、ロシア軍の大陸からの援軍を阻止しなければいけません。従って、敵は島を横断することになります。
 
  前述のように、択捉島での着上陸戦において敵味方を問わずポイントになるキトーヴィ港について少し紹介しようと思います。
 2014年8月5日のロシアの「portnews.ru」で、同港について

 サハリン州政府報道局は、択捉島でキトーヴィ湾の港湾施設建設が終了したと伝えた。発表では、その(投稿者注:新旅客用埠頭)の大きさは147.5×26mである。
(https://portnews.ru/news/184792/を一部引用)

と、書かれています。下はロシア紙「イズヴェスチヤ」に掲載されたキトーヴィ港の様子です。大部隊の陸揚げに便利そうですね。
 

(https://iz.ru/export/google/amp/1198147)

 話を戻します。18師団のここでの戦い方は、
モスクワでナポレオンやヒトラーに勝利した「消耗を狙った遅滞行動」と同じイメージです。(広さを武器にただ逃げ回っただけと言う話もありますが)
  けれども、ここで18師団が待つのは冬ではなく、大陸からの援軍でしょう。
 いずれにしても、広さが武器にできないので、幾重にもある塹壕線を利用することになるのですが、しぶとく時間を使って戦う、と言うロシア軍のDNAはまだ生きているようです。マニングやブレイディも持っているDNAですね。

  一方、塹壕は露天で、航空機や艦艇からの攻撃(何しろ、敵が着上陸するときは制空・海権取っているはずですから)には弱いため、実際には「防御要塞」ではなく、正確には「防御陣地」と言った方が良いと思います。

 ①18師団の概要と特性の小結論は、「防御陣地を利用して、しぶとく時間をかけて戦う師団」としておきます。

 キトーヴィ港と日露戦争時の旅順港がオーバーラップしますね。

 長いので、今回はここまでです。
 18師団が防御陣地で戦うため、どのように組織立てしているかについて、つまり、②編制とその特性は次にします。

 
 北方領土の地名をロシア語にするか日本語にするかは、位置の微妙な違いも含めて難しいです。
 昔は、народ(英語でpeople)と言う単語を「国民」と訳すのはあっちのヒト、「人民」と訳すのはそっちのヒト、みたいな話があったそうですが。
 noteでも、ロシアのハッシュタグにはあっちこっちそっちのヒト、大好きな人から大嫌いな人まで混ざっています。
 今回、google earthを調べながら思ったことは、海を監視しやすい、あるいは海に対して広い射界を持つ対着上陸戦闘に有利な陣地は、日本統治時代にはお墓があったんだろうなあと言うことです。
 北方領土で亡くなった漁師さん達は、やっぱり海のみえる岡のような所で眠っているでしょうしね。
 そんなお墓の上に、日本人をやっつけるための大砲なんかが置かれているとしたら、切ないですね。
 けれど、同じようなことを北海道で日本人はアイヌの人達にしているのかもしれない。当然、今私が居る所でも。
 
 誰しも悪であり、誰しも悪でない…。

 んー、何を言おうとしているのか、何を何に対して考えているのか分からなくなりました。
 少し頭を冷やして、現実に戻りましょう。

 



 
 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?