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【備忘録】根拠の無い自信を持っている無能を見て我が振りを直したい(ダニング=クルーガー効果)【てのりメモ】

こんにちは、てのりです。
社会生活を続ける上での備忘録を書き留めておきます。ゆくゆく立場が上がって調子に乗り始めたときにふと見直せるメモ。特定の誰かに対する悪口ではなく、普段のコミュニケーションの攻略法みたいな感じかな。

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Twitterにて、めちゃくちゃ不潔で臭そうなキモい中年のおっさんが女性アイドルの自撮りに「まぁ、可愛いんちゃう?w」と上から目線のリプライを送っているのを目にすることが何度もあります。

キツいよな……

共感性羞恥で喉笛を掻き毟りたくなる光景ですが、これ、ちゃんと名前がついている現象なんですよね。

能力が低い人間ほど、自らの発言や容姿・行動をそっちのけにして他人の能力を低く、自らの能力を高く見積もってしまう。

この現象を「ダニング=クルーガー効果」と呼称します。

自らをメタ認知(=平たく言うと”客観視”)できないことによって生じる歪みが引き起こす現象で、ようは「”足りない人間”ほど根拠のない自信を持っちゃうよ」ってことですね。救いもへったくれもないな。

無能であるからこそ「わかったつもり」になって、いざ問題に直面した際、かえって火に油を注いだり、他人に不快な思いをさせてしまったり……そんな場面が容易に想像できます。企業アカウントやインフルエンサーに喧嘩腰で突っ込む人とか、まさしくこのパターンですね。見てて恥ずかしいやつ。

ちなみに僕は「卵はコレステロールが多いから一日一個しか食べたらアカンねんで」と言う親戚のおじさんに「食事からのコレステロール摂取量は少ないからあんまり影響ないらしいで」と指摘した際に「いいや、そんなはずない! あかんもんはあかんのや!」とブチギレられた経験があります。そういう人って「ほら、記事も出てるやろ?」とスマートフォンの画面を見せても頑なに持論を曲げないんですよね。わろてまうわ。

みなさんも実生活において「めっちゃ人の仕事に口出しするけど、お前ただの職歴なし無職やんけ……」とか、「このババア、学生をめっちゃバカにするけど最低限の学も無いやんけ……」とか思ったことがありませんか?

なぜそんなことが起きるのか。

これは非常に簡単な理屈で、『無能は「”自らが無能であることに気づく”能力」を持たないから』です。対照的な言葉として挙げられるのが「無知の知」ですね。

わかりやすく要素分解すると、こうなります。

能力の低い人間は自らの能力を正しく認知できない。

■能力の低い人間は、上記同様に他者の能力を正しく認知できない。

■この歪みに都合の良い解釈が加わり、「自分が他人よりも優れている」という錯覚を生み出す。

そして厄介なことに、無能は学びません
……というか、学ぶ契機を持てないんだよな。
学ばないからこそ能力が低いんですけどね。

ようは「自らの能力が劣っていること」を知り得ない彼らは、そもそも学習の必要性を感じることができないわけです。

また、「能力の低い人ほど自らの能力を高く見積もる」という傾向と同時に、そこそこ知識をつけている人の自己評価が対照的に低くなります。考えてみれば当然なんですよね。どんな分野においても学習を深めていくと「あれ? まだめちゃくちゃ知らないことあるやん……」と不安になりますし。実力のある人が「ちょっとだけ〇〇ができます」と謙遜する理由のひとつにこの心理が介在しているようです。

一方で、無能はちょっと物事に触れた程度で「自分はこの分野を完全にマスターしている」と思い込んでいるものですから、仮に他人から忠告やアドバイスをもらったとしても一切受け付けません。改善の機会は訪れず、なにかしらの転回をもって「あれ? ワシ無能じゃね?」と気づかない限りは一生無能のままというわけです。

他人からすれば深く関わるだけ無駄なので放っておくしかありません。客観性が担保された真っ当な指摘に対して、無能は「まぁそういう意見もあるよねー」と聞き流すだけなので、関われば関わるほど聞き手側がストレスを溜めてしまいます。

もはや優しく殺してあげるしかないのかもしれない。死は救済なので。


……なんて、つらつらと書いてきましたが。


こんなことをしたためている僕自身も、きっと、この「ダニング=クルーガー効果」に囚われているのだと思います。

他人よりも少しだけ知った気になって、そのくせ本質はなにも理解していなかったなどなど……以下堂々巡り。これを読んでいる方も、そんなショートショートっぽいオチが想像できるんじゃないかと思います。

実際、これは「バイアスの盲点」と呼ばれるもので、ダニング=クルーガー効果を知った人の多くは「あー、いるいる。私の周りにもそういうやついるわー」とはじめに”他人の行動”を振り返るそうです。つまり自分がダニング=クルーガー効果に陥っていることが想定から抜けるらしいんですね。


で。


無能と関わるのは嫌だけれど、一方で他人に無能扱いされるのはもっと嫌じゃないですか?

とくにビジネス上では。

そう思い、僕は自らの行動に”縛りプレイ”を課しています。心の内はどうであっても、他人に評価されるのはあくまで「行動」なので、これさえ取り繕ってしまえば社会生活において最低限のコミュニケーションは保証できるんじゃないかというコミュ障なりの思考ですね。

ようは、行動的側面から”ある分野に対する全能感”を取り払えば良いわけです。相手の話から新たな理解を引き出しているように見せかけたり、部分的に客観的事実を引き出したり……という手法です。

■例え話を多用する
■事例を頭に入れておいて、論拠として引っ張り出す
■日常会話のベースを“共感”にする
■調べれば分かる事実は調べる
■「それよりも」を使って話題を阻害しない

などなど。

シンプルに考えるなら「自分よりももっと知識を持っている人間はたくさんいる」という当たり前の事実を前向きに受け入れれば良い。「相手を立てる」ことで間接的に「自分の知らない知見があるんだな」と匂わせることで”無能感” を消し去るわけですね。

また、今すぐ実践できる対策方法のひとつに、「己に批判的思考を課すこと」が挙げられます。あるひとつの考えに対して、思考に客観性を練り込んだ上で何度も論理構築と仮説検証を繰り返し、正しい結論を導き出そうとする思考方法のことです。

また他人に意見を表明する場合、このプロセスを逆行していけばいいのでめっちゃ楽です。反証例も想定しておいたほうがなお良し。

さらに単純な方法としては「他人からフィードバックをもらうこと」。自己評価と他者からの評価をすり合わせて歪みを埋めていくことがメタ認知につながるんじゃないかという考えかたです。

「完全に理解した」「自分は”分かっている側の人間”だ」という傲慢さを捨てて、自らが学習途上であること、そして「上には上がいる」という事実を理解する。自らの持つ意見の論理構造に批判的なメスを入れて、それが客観的事実に基づく結論なのか、それともイメージに基づくただの偏見なのかを見極めること。

文字に起こすと超難しいけれど、ようは「自分の立場と役割」を正しく認識する努力をしようということです。

……そんな僕の思考に基づく行動も、もしかするとダニング=クルーガー効果による“傲慢”が導きだしたものなのかもしれない。

みたいな感じで、自分の思考を内省的に見ることが解消策になるんじゃないかと思いたいところです。

さて、それでは最後に「客観性を担保しつつ導いた結論」を記して、この備忘録を締めましょうか。

“文章を読む能力が低い人間”はこのセンテンスまでたどり着けず、また無能はそもそもこの記事を開かない。

おあとがよろしいようで。


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