Eclipse

医療人類 家庭医療目 都市型 東京に棲息 家庭医療+人文学に興味があります

Eclipse

医療人類 家庭医療目 都市型 東京に棲息 家庭医療+人文学に興味があります

最近の記事

「風の谷」と対称性

 安宅和人氏の「風の谷」の試み、またコロナ以降の世界の展望、「開疎化」という概念を知り、だいぶ昔にひっそりと書いた文章を思い出した。今回のコロナで、人間(と家畜)ばかりが繁栄し、ひたすら増殖して他の生物や自然環境を圧迫していく未来に希望はないことが明らかになっただろう。あまりに人間に偏った世界では、中沢新一氏のいう非対称性の思考から対称性の思考への転換が必要である。「風の谷」の試みはまだはじまったばかりであるし、それが正しいのかどうか、実現するかどうかはわからないが、少なくと

    • 「たべきる」と「使い切る」

      三浦哲也の『食べたくなる本』の,「おいしいものは身体にいいか」という表題の文章では,料理家の有元葉子の「暮らし」について語られている.本によると,有元は食を含めた生活全般を,「循環」の相から見つめ直そうとしている.土着のものを無駄なく使い切り,その食材のポテンシャルを最大限に発揮させる料理をし,冷蔵庫には不要なものはためない,食材の仕入れからゴミ出しまでをスムーズに循環させる.そこから食だけではなく,生活全体,身体も循環の相で捉えることで暮らしを構築していく.実際,常人離れし

      • 「ふつうの相談」を家庭医療的に読む

        ふつうの相談0とは、不調を「個人症候群」(中井久夫)として扱っているときに生じるものであり、疾患として診断、ラベリング、抽象化される前の原初の状態のものを言う。ふつうの相談0を持ちかける相手は、中井の言う熟知性の間柄にある人たち、つまり主に親しい友人や家族である。専門家が介入する前に、素人同士でケア/治療が行われる。医療人類学的には、クラインマンのヘルス・ケア・システムで言う民間セクターでまずは処理される。ふつうの相談0は日常の関係性の延長上で親しい人に「自然に」なされるもの

        • PLAN75はDNARの延長線上にあるのか?

          人間は自分たちの死をコントロールできるのか、してよいのかどうか。 これがこの映画に通底する疑問である。 人が死を選ぶとき、それは本当に自分の意志だけで選んでいるのか?ほとんどの場合、それはNoと言わざるを得ない。スピノザや中動態の考え方を踏まえると、自分の意志だけでなにかを決定することはほぼありえないことは明白だ。周囲の環境や人から、なにかしらの影響を受けたり、原因があって、人は行動を決定する。死についても同様だ。「早く死にたい」と思わせる社会的状況があって死を選ぶという行為

        「風の谷」と対称性

          映画『エゴイスト』はSDHがテーマである

          手持ちカメラで人物のクローズアップや真後ろを撮影し、視点はあくまで人物の近景に絞られている。ゲイの性行為をあそこまで生々しく写したのも、登場人物のリアルを体感するためだろう。 表面的に見れば人が死ぬことや逆境にあることで涙を誘うメロドラマに見えなくもない映画ではある。しかしこれは実話をベースとした小説が原作である。 小説の書かれた20年前を現代の医療者からみると、これはSocial Determinants of Healthとヤングケアラーの問題である。性的マイノリティ

          映画『エゴイスト』はSDHがテーマである