宿直草「古狸を射る事」

ある人がこのように申しました。
慶長七、八年(一六〇二、三年)の頃、半弓の師匠の元へ出掛けると

「昨夜、このようなモノを仕留めたのだ」

と言って、古狸を見せられました。

「一体、どこで射たのですか?」

と問うと、

「いや、仔細を話すわけにはいかん」

と言葉を濁すのです。
それから二、三年してから兄弟子が

「その時の狸は、師匠と私と二人で射たのだよ。東寺の周辺にいたある僧侶が、どこかの娘に一目惚れし、人目を忍びつつ通っていたのだが、とうとう娘が身籠ってしまったのだ。日に日に腹も目立ち、隠してもおけなくなっていった。一体これからどうするのかと思っているうちに臨月を迎えたのだが、これが非常な難産で、娘と子供は死んでしまったのだ。
可哀想な母子は墓に埋葬されたのだが、死んでしまったからと言って恨みが綺麗に消えるわけでもないのだな。
その晩から娘は『産女』の妖怪となって僧侶の僧房(僧侶の住まい)を取り囲む藪の中で、竹に取り縋りながら泣き続けるようになった。僧侶はこれを迷惑がり、何度も弔いをしたのだけれど一向に止む気配がない。口さがない人々によって、良くない噂が広がるのも面白くない。
もう寺を出るしかないと悩んでいると、ある人が僧侶に『これはきっと、狐狸が化けてやってきているのに違いない』と、こう言った。それを受けて僧侶が師匠の元へやってきて、自分を悩ます妖かしを退治して欲しいと依頼してきた。だが師匠は『まずは一緒に行って、その正体を見極めましょう』と、多くの弟子の中から私を選び、問題の僧侶の住まいへ向かった。
僧房の窓を塞ぎ、その左右に矢狭間(矢を射るための穴)を開けて待っていると、かすかに何者かの声がする。僧侶が『あれでございます』と告げる。次第に近付いてくる声は、まるで生まれたばかりの赤ん坊のよう。夜更けで人は寝静まり、辺りは森閑としているが故に、声は不気味に響き渡る。
半弓に弦を張り、矢をつがえて矢狭間へ近寄る。師匠の『何かを訴えてくるわけではなさそうだ。こちらから合図を送るから、その瞬間に矢を放ちなさい』との言葉に、私はじっとその時を待った。声はますます近づき、すでに僧房の庭先に辿り着いたようだ。
矢狭間からそっと覗いてみると、黒髪を振り乱し、白装束を着た娘が立っている。腰より下は見えなかったが、竹に取りすがって泣き叫ぶ様子は、胸が締め付けられるほど哀れに見えた。これは間違いなく、迷い出てきた幽霊に相違ないと思った。心を弱くしてはいけないと自身を励まし、弓を引き絞り、狙い違わず放った矢には手応えがあった。
相手が倒れた事を知り、さてその正体を見極めてやろうと蝋燭を掲げて確かめれば、二筋の矢に貫かれて動けなくなっているのは大きな古狸である。私たちはそのまま、この狸を叩き殺したのだ。
これまでの事は他へ口外せず、どうか隠して頂きたいと言われていたのだがな。問題の当本人である僧侶が去年の秋に亡くなったので、こうやってお前に話す事ができるようになったのだ」

このように語ってくれたのでした。