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なんとかしましょう、お義母さん〜ロング グッドバイ編~

なんとかしましょう、お義母さん~鬼と葛藤編~https://note.com/nuetwt2023/n/n527f2e7ed115 こちらの記事の続き。

よく晴れた爽やかな秋の朝だ。
今日は、業者のトラックが箪笥などの大型廃棄物を引き取りにくる日である。これまでリフォーム予定の義理両親寝室とその納戸の、溜まりに溜まった着ない洋服をリサイクルボックスに持ち込み、カビた着物を捨て、重すぎて使えないバッグの金具を片っ端から外して分別廃棄し、ぼろぼろになった座椅子、壊れたファンヒーターを不燃ごみに出し…とにかく物を減らせるだけ減らす作業を続けていた私としては、感無量だ。

R工務店のTくんが他スタッフさん運転する4tトラックと共に現れた。
準備は万端だ。前もって義母に確認し、廃棄するもの・残しておくもの別に、箪笥や棚には目印のテープを貼ってある。これでスムーズに積んでもらえるのだ。R工務店スタッフさん達の手により、荷物がどんどん外に運び出された。

ある程度すっきりした寝室を見たTくんは笑顔で義母に告げた。

「あれ。これなら、最初のお見積りよりもトラック1台分くらい荷物が少なくなってるかもしれないですね。その分安くなりますから、このままでもいいですけども」
それを聞いた義母が、ぽんと手を叩いた。
「そんなら、倉庫にある要らんモノも持って行ってもらおうかね。トラック1台分。ねえ」

いいですよと気軽に頷くTくん、顔が引きつるのを感じる私。
今日まで着々とモノを捨ててきた寝室と納戸とは違い、倉庫はぎっしり不要品が詰まったままである。準備万端が仇となった…しかし、これを機に更にモノを減らせるなら願ってもない。ここは肚をくくるしかない。やりましょう、片づけましょう。

倉庫を開けると、当然だが手つかずの魔窟が広がっていた。ここでまた、捨てるか捨てないかと、義母の逡巡が始まったらどうしよう…トラックへの積み込みが今日中に終わらないかもしれない、と危ぶんだ。が、意外や意外、ここでの義母はこれまでとは一味違い、躊躇せずどんどん手を進めて行ったのである。寝室と納戸における散々悩みながらの選択で、片づけへの思い切りと勢いがついたのかもしれない。

ぶらさがるの、踏み込むの、漕ぐの。様々な形の健康器具。50年以上前、幼い夫が乗っていたであろう藤で編まれた乳母車。代々この家に住んでいた家族の人数、その倍はありそうな傘の山。この人が誰なのか、義父も義母もわからない人物の肖像写真。義母は次々と捨てる目印テープを貼っていく。

そしてここにも和箪笥があった。開けてみると、古い着物が山ほど出てくる。喪服であったり、留袖であったり。納戸は普段着物が主だったが、こちらはフォーマル着ばかりのようだ。しかし長い年月虫干しされていなかったせいか、どれも黴臭い。思い切って捨てることにする。

その和箪笥の小引き出しに桐の小さな箱が入っていた。それらは義父とその兄弟姉妹の臍の緒。書かれていた生年月日を見ると、義理の祖母は19歳で長子である義父を産んだあと、29歳までに6人の子を出産している。約90年前では珍しくなかっただろう。その桐箱に書かれたいくつかの名前は、私が全く知らない名だ。若くして、或いは幼くして世を去ったのか。昭和14年までは、生まれた子どもの10人に1人が1年以内に死亡していたのだ。
義理の祖母の腰が曲がった小さな背を思い出し、臍の緒の箱を「取っておくもの」ケースに入れた。

もう一棹、奥に隠れるように置かれていた和箪笥の奥から取り出した畳紙を開いた義母が「あれまあ」と声を上げた。見ると、色鮮やかな四つ身の着物。扇の地紋に、打ち出の小槌、宝船、桐の花、束ね熨斗などが友禅で染められている。

「これね、私が六つの時に父親が町長になって。その時の何かのお祭りで着せてもらったやつなんやわ。こっちに持ってきてたんやねえ…」

約80年前に幼い義母を包んだ着物は、殆ど傷みがない。

「お義母さん、これは取っておきましょうよ。いま子どもが着たら布地が裂けてしまうかもしれないので着物としては使えませんが、何か他のものに生まれ変わらせられるかもしれない。最近は古布で作ったテディベアなどありますし、大切に飾るなら他の方法もあるでしょう」
「そうかね。そうやね」

義母が嬉しそうに頷き、畳紙に戻して「取っておくもの」ケースにそっと移した。

そこからは二人とも大車輪、しゃかりきに仕分けをしていく。古ぼけた箱の中から「日本帝国 萬萬歳」と金で書かれた染付の皿が出てきた。旭日旗がぶっちがいで描かれている。よくわからないが、第二次世界大戦かその前か、少なくとも帝国であった時の名残の食器だろう。
箪笥の中の茶色い新聞はベトナム戦争について報じている。
この倉庫、まるごと昭和史のようだ…と思いながら片づけた。

夫の家族、親族と共に暮らしてきたモノたち、今までありがとう。ここでさようなら、ロンググッドバイとさせてくれ。

トラックに荷物を積んでもらい、自治体指定の処理場に私が同行して手続きと共に廃棄処分し、戻ってきた頃には日が暮れ始めていた。
ただいま帰りましたと義母に挨拶して、途中のコンビニで買ってきた栄養ドリンクの瓶をお疲れ様でしたと差し出す。その場で一口飲んだ義母は

「こういうの、初めて飲んだわ」
「あっ。そうだったんですね。ごめんなさい、刺激が強かったですか」
「結構おいしいもんやね。ふふふ」

ふたりで笑いあい、夕暮れの空を見上げる。まだリフォームは完了していないが、大きな山を越えたのではないか。
私達が大騒動している間、リビングで昼寝していた義父が、起きてきて夕飯はまだかと聞いている。

つづく。↓
なんとかしましょう、お義母さん〜リフォーム完了報告編〜







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