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紙一重だと知った

タイ・バンコクに滞在中、せっかくだからちょっと遠出してみないかとタイ在住の友人に誘われ、出かけることとなった。
目的地はパタヤのラン島。パタヤはバンコクから車で2時間ほどの人気リゾート地、ラン島には青い海と白い砂浜の、こじんまりしたビーチがあるそうな。

パタヤでは、マリンリゾートを楽しもうという海外からの観光客が大勢歩いていた。日本人と思しきグループもいる。車を降りると、日除け帽子売り・サングラス売り、そしてラン島までの水上タクシーの客引きがドッと押し寄せてくる。慌てて帽子とサングラスを身に着け、それらは不要だとアピールした。尚食い下がってきたのは水上タクシーの客引きだ。ラン島まではフェリーがあり片道約40分。しかし、水上タクシーはモーターボートなのでフェリーより速く、そしてお値打ちだという。急ぐ旅ではないが、お値打ちには惹かれた。

日焼けした逞しい客引きに案内された小さなモーターボートの座席はコの字型。出発を待つ乗客は私と友人のほか、私の隣に英語圏から来たらしい欧米夫妻。私達の前に、1歳と3歳くらいの幼児を連れたインド系若夫婦とその両親3世代家族旅行といった一行が横並びに座った。船尾にはスタイリッシュな東アジア系カップルが仲良く座り、海を背景に自撮りをしている。

モーターボートの座席に人数分の救命胴衣が置いてあったので、やはり念の為にな…と友人と共にそれを身に着けた。私達の挙動を見て、欧米人夫妻と3世代一行も救命胴衣を着ける。スタイリッシュカップルはスタイリッシュさ優先なのか、胴衣を無視していた。

咥えタバコの小柄な老人が乗り込んできて、我々乗客にはまったく構うことなく操縦席に座る。彼が船長さんかあ。私がよろしくおねがいしまーす…と小さく呟いたと同時に、エンジンがかかった。ギュルルラン、ギュラリラリラリラン、と予想よりもだいぶ年季の入った機械音と共にゆっくりと船が動き出す。他のボートの間を抜ける間にゆったりゆらりと揺れて、あっそうだ、自分はこういう緩やかな揺れのほうが船酔いしやすいのだよな…大丈夫かなと思ったが、それはある意味杞憂であった。船着き場から離れた瞬間、小さなボートは打って変わって大海原を爆走、暴走し始めたのである。

私は母方の実家が漁村であり、漁師の親戚もいるので子どもの頃から船には乗り慣れているつもりだった。しかし、こんな速さは経験したことがない。
日本とこちらでは法定速度が違うのだろうか。いやしかし、それにしても。

重たい波を叩き割るようにして、船は猛スピードで進む。割った瞬間大きくバウンドし、海面に着水する。その都度、水とはこんなにも固いものだったかと驚くほどの衝撃が襲い掛かってくる。激しく飛沫が上がり、それは日除け程度の屋根などなんの障壁ともせず乗客に浴びせかかり、全員頭からずぶ濡れだ。

ふと見ると、船尾に居るスタイリッシュカップルが必死に救命胴衣を身に着けようとしている。留め具を嵌める為に両手が塞がりどこにも掴まれず足だけで踏ん張っているが、船がバウンドする度に彼女の尻が船尾からふわっと浮く。背中から海に落ちそうで、彼が必死に彼女の体を座席に押さえつけている。

私の隣の欧米人夫妻の夫が、青白い顔をして俯き始めた。時折、ちいさな声で「おまいがー…」と呟いている。妻は座席の手すりにしがみついて、夫の変化に気づくどころではなさそうだ。
「大丈夫ですか?!(※英語)」と声をかけると、力強く「NO!!!!」
と返ってきた。そうかダメか。彼が耐えきれず嘔吐してもなるべく被害を被らぬよう、できる限り体を彼から離した。

3世代一行はといえば、若夫婦の妻が完全に船酔いしている。気持ち悪いと夫に訴えたようで、夫が片腕に1歳児を抱いたまま軟膏らしきものをポケットから出し、それを妻の鼻の下に塗った。ミントの香りだろうか。
おじいちゃんは家族に「みんな安心しろ、余裕だぜ」という姿を見せようとしてか、なぜか立ち上がりぐらんぐらんと揺れる船の中で仁王立ちしている。不敵な笑みを浮かべたまま。おじいちゃんの漢気と体幹に拍手を送りたいが、家族は皆それどころではない。おじいちゃんに一瞥もくれることないままである。
おばあちゃんにしっかり抱かれた3歳児は船の揺れに合わせて眠り始めた。大物じゃないか…しかし1歳児のほうはそうもゆかない。波の上で撥ねる船の揺れ、激しいエンジン音に怯えて父親の腕の中で泣き叫んでいる。そりゃそうだ、大人だって泣きたい。

すると、父親が足に挟んだリュックサックの中からミルク入り哺乳瓶を出して、1歳児に手渡した。いやいやいくら泣き止ませる手段だとしても、こんな状況では飲まぬだろうと思ったら、1歳児はキュポンッと哺乳瓶の乳首を咥えて無言で飲みだした。飲むんかい、泣き止むんかい。
しかし船が大揺れするとまた泣き叫ぶ。父親が口に哺乳瓶突っ込む、無言で飲み始める。これを何度も繰り返した。すごい。死への恐怖と生の喜びのせめぎ合いである。

耐えきれず私は大笑いした。私以外誰も笑っていない船の上でひたすら笑い続けた。恐怖と笑いは紙一重だと改めて知った。私の哄笑はエンジンの爆音と混ざりあい、ラン島到着間際まで海の上で響いていた。

着岸して船から降りる乗客は私を含めみんなフラフラで、船長に文句を言うどころではなかった。陸地に着いたこと命あったことを無言で喜びあい、不思議な連帯感まで生まれていたように思う。欧米人夫はよく耐えた。1歳児は涙目で哺乳瓶を咥えまま、父に抱かれ家族と共にラン島の雑踏に消えて行った。スタイリッシュカップルはより絆が深まったことだろう。

パタヤからラン島までかかった時間は25分程度だった。フェリーであれば40分、この短縮された15分にどれほどの価値があったかは乗客それぞれに委ねられる。個人的には、その後に味わったビーチリゾートよりもよほど忘れがたい、貴重な体験であった。

生きててよかった。



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