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多様性を認めない環境とは?

以前話した、多文化共生の続きみたいな話です。
多文化共生は、多様性、多様化を認めることだと思いますが、かなり偏見かもしれませんが、昭和の優等生、保守的な会社、保守的な方は多様化、多様性を求めない、認めない傾向にありことが多いと思ってます。

昭和の優等生、優良会社でタチが悪いタイプは一瞬受け入れるふりだけはするのです。
しかし、昭和の優等生、優良会社という見えない謎の肩書きを捨てれない人、組織は、多様化、多様性を認めることで、その見えない肩書きが無くなることをすごく恐れているのです。

だから、本当に受け入れることはせず、受け入れるふりしか絶対しないのです。

要はなにが言いたいかというと、よそ者は受け入れないということなのです。

保守的な環境は、よそ者を嫌い、受け入れないなと思うことが多いです。

ただ、コロナ禍になって、保守的な環境ほど、孤立しやすくなってしまっていると感じます。

それに対して、コロナ禍だから、できるようになった、テレワークだったり、在宅勤務、在宅での学習は、ある意味孤立を招いてると言いつつも、いままで、1人だけ遠方とか、海外とかで、繋いでたネットミーティングが、みんなオンラインになったことで、みんな平等にしゃべれるようになったとか、海外とか遠方を感じなくなったとか良いこともあるのです。
なかなかリアルに会えないと言いつつも、最近はコロナ禍もだいぶ落ち着きつつあるので、徐々に家族、親しい友人などの小規模でのリアルでのやりとりも始まりつつある中で、社交辞令的な付き合いについては、徐々になくせばよいという風潮がつよくなりつつあることで、人付き合いも二極化が進むだろうなと勝手に予測してます。

そんな中で、多様化、多様性を求める人、環境はどんどんコロナ禍が落ち着いたら、変革するだろうと思うのと同時に、悪い意味での昭和感が強かったり、保守的な考え、多様化、多様性を結果認めない環境は、自然消滅していくのかなと思ってます。

色々な意味で生き残りたいなら、多様化、多様性は必須だなと。

今日はこの辺で




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