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しあわせって何だろう。 〜「MIDSOMMAR(2019)」感想〜

自分はホラーというのはあまり怖くないと思う人間である。だから見れてしまう。
やはりホラーを作るといえど所詮人間であるので、どこか生理的な遠慮や他人に対する見栄などが見える瞬間があって、そうなると怖いというより逆に可愛げすら覚えてしまう。
普通のホラーはお笑いと同じで、大抵ツッコミが入ってしまうのだ。恐怖を演出するために恐怖じゃない描写を入れる、死んでしまって当然なくらい不注意なお馬鹿を主人公たちに入れる、と言った感じに、本来不条理モノであるホラーに対して条理が働いてしまうのである。

さて、ミッドソマーはそんな醒めた自分でもめちゃくちゃ怖いと思ったし、正直引いた。
この作品はもはや「ツッコミがないお笑い」であり、異常な空気感のまま物語は進んでいく。
それは何もあの不思議なスウェーデンの村だけでなく、冒頭から主人公ダニの家族が妹の自殺で全員死ぬなどというかっ飛ばした展開からである。

思えば、ツッコミがないのは、主人公たちがどこか、その異常な世界でしばらく生活できてしまうほどに心の闇があるからだ。

主人公ダニは不幸な女性である。妹も自殺するほど精神が病んでおり、ダニ自身も彼氏との仲がうまくいかない程度に精神が不調であった。
アリ監督の前作「ヘレディタリー」の母アニーも家族がほぼ精神病で死んでおり家族全体がそういう気質であることが仄かに説明されているが、ミッドソマーのダニも家族全体が病みやすい気質なのだろう。
それが妙に生々しい。「精神病は努力で頑張れば治る」などという言説は今日の医学ではほぼ誤りとされている。また、例えば統合失調症など、遺伝する傾向があるものもある。
このような設定を再び引き継ぐということは、監督のアリ・アスターにとって「遺伝子要因の精神病」「先天的な精神病」などに対して何かしらのこだわりがあると分析できる。
ヘレディタリーでは実際のアリ監督の家族の弟に起きた不幸が動機とされているし、ミッドソマーもアリ監督自身の失恋がモチーフとされている。
これはただの予想なのだが、アリ監督自身あるいは近親者に何か心に強い問題を抱えており、またそれが自身の努力でどうにもならないことを知っているからこそ、救いのない絶望について思いを馳せているのかもしれない。
再び「ヘレディタリー」の記事でも引用したあの文章を引用しよう。

「悲惨な出来事が立て続けに起こると、自分は呪われてるのかもとか、悪意に満ちた陰謀があるんじゃないか、と疑いたくなりますよね。僕はそんな苦しみを描く映画をつくりたかった。苦しみに伴う感情を見つめ直し、それを誇張することなく表現したかったのです」

21世紀最恐のホラー映画『へレディタリー/継承』:アリ・アスター監督が明かす制作秘話」より

この映画はまだ日本公開されてないためオチを言うことは到底できまい。
だが、この映画を見終え、主人公たちの運命を見届けたのち改めて思うのだ。

幸せってなんだろう。
幸せって誰にも掴めるものなのだろうか?
誰にも掴めないから神に縋るのだろうか?

と。

なんというか、これはホラーというより、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー的なもっと人間という種の仄暗い絶望の縁のようなものを、あの燦々とした太陽の美しい映像の中に感じたのだ。

興味本位で奇怪な物を見ようと思うなら、深淵を覗くハメになる。
ミッドソマーはそんな映画だった。

日本公開されないかなあ。

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