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「涙が出る」ということは

私は今年、JICA中国フィールドワークin西粟倉に参加しました!
9/9-9/17の9日間という期間でのフィールドワークでした。行く前は「長いなあ」とか思ってたのに、帰る前は「短すぎ!寂しい!」に変わりました笑


初日に大原駅に到着して撮った一枚
この時は期待と不安でドッキドキしてました

一緒にフィールドワークを乗り切ったメンバーはもちろんのこと、西粟倉村でお世話になった一般社団法人のNestのみなさん、JICAのみなさん、村でお話してくださった方々など、たくさんの人とのつながることができて、それぞれ「心が動く」瞬間がありました。
特に、Nestのかなめさん、ぽんさん、なぽさん(順不同)には毎日の送迎・話し合いでヒントを与えてくださるような問いかけ・写真撮影など、感謝しっぱなしの9日間でした。ありがとうございます!!

そんな濃密すぎるフィールドワークで数えきれないほどの学びを得た私が、最終日にふと思ったことがあります。
それは、
「自分の想いを口にするとき涙が出るのはどうしてだろう?」
ということ。

フィールドワーク最終日が近づくにつれて、成果物である授業を作成するために深い話をすることが増えました。「変態」のきっかけ、自分にとっての「生きるを楽しむ」とは何か。フィールドワーク全体を振り返って、来る前と来た後で何が変化したか。自分のこれまでを振り返って、本音で自分の想いを話そうとするとき、必ず喉がつまって泣きそうになります。

雑談をしているとき、他のメンバーが「ああいうとき(深い話をするとき)って何で涙が出るかわからんけど泣いてしまう」と言っていて、「超わかる!!」と共感しました。

そこで、どうして自分の想いを話すときに涙が自然と出てくるのか、自分の場合を考察してみます。(フィールドワークのメンバーの場合も聞きたいのでこのテーマでnoteを投稿してくれることを超超超期待してます笑)

まず、人が泣くのはどんなときか?
嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき、怖いとき、痛いとき、何かをやり切ったとき、感動したとき、寂しいとき。
もっと細分化することもできると思うけど、ざっと挙げてみた。
ちなみに私が涙を流す(泣くのを我慢できなくなるとき)のは主に「悔しいとき」です。一番古い記憶では、じゃんけんに負けて泣いていました笑
(でも涙を流すのはあまり得意ではなくて(特に人前)、泣きそうになったら必死に我慢してしまいます。)

私が心の底にある想いを話すときに流れる涙は、上に挙げた涙を流す瞬間のどれも当てはまっていません。

じゃあどうして涙が出るのか??

実はフィールドワークのメンバーに1つヒントをもらっています。
そのメンバーは、私にとって大学で一番仲がよくて、尊敬している後輩です笑

後輩ちゃんが言っていたのは、コップを使った例えでした。
コップに水が満タンに入った状態で、石や何かを入れると溢れてしまう。でも、コップの容量にまだ余裕がある状態で何かを入れても、溢れることはない。

この例えを聞いてひらめいた。

「コップにたまる水は、自分が言いたかった、だけど何らかの理由で表出できなかった自分の想いではないか?」

私はコロナと同時に大学入学をして、オンライン授業を受けていた世代です。ずっと家にこもって、授業の予習復習をする毎日。愛媛から出てきたので岡山に知り合いもいなくて一向に友達もできない。
大学3年からようやく対面で大学に通い始めて、大学2年から継続していた「模擬国連」の授業を通してやっと友達ができました。でも、模擬国連について熱く語ることはあっても、「人生・夢」などの深いテーマで話をすることは重要視してきませんでした(とにかく時間が足りないほどに忙しい)。

大学に入る前からだけど、これまでずっと封印してきた自分の想いは、知らず知らずのうちにコップから溢れそうなほどにたまっていたのかもしれません。
その状態で、人生についての問いかけや思考(コップの例えでは石)を投げかけると、そりゃ溢れてくるよね~。その溢れた想いが、言葉と一緒に涙になって出てくるのでは?

論理としてまだまだ弱いひらめきだけど、今の自分が一番しっくりくるのはこの考えでした。

やはりアウトプットが足りない…!
noteの投稿を通して修行します💪





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