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「き」稀勢の里関~一番テレビの前でドタバタした力士~

前回の振り返り


2周目だ。友人と続けている交換日記(のようなもの)だが、色々と考えることがあった。まずは、もっと自由に・粗っぽくという彼の意見だが、全くもって賛同する。というのも、「人に見せる文章なのだから、丁寧に書かなければならない」という考えが私の大半を占めている。その結果、慎重に言葉を選んで書くことになり、時間を要してしまう。そして、なかなか書きあがらず、後回しになってしまうのだ。(これが120時間かかった原因です。ごめんね。)
私は「他者の視線」が非常に気になってしまうのだ。気付いたらこの体になってしまった。今までは、「好きを発信したら、他人はこう思うんじゃないか」と妄想に妄想を重ね、何もせずにいた。そんな自意識過剰真っ最中の私に、冒頭の友人から連絡がきた。そのとき、何も考えず「自分も発信してみよう」という気持ちになったため、この企画を続けている。
話を戻そう。もっと自由に。もっと粗く。これは簡単そうで、非常に難しい。自由に粗く書いたら、読者を無視していることにはなりかねないか?そもそも粗くってなんだよ?と様々な疑問が湧いてくるからだ。
疑問で頭がパンパンになりそうなので、一旦友人の文章を読んでみる。タイトルは「木/樹」だ。ここでまた疑問が生じる。しりとりのリレーだよね?一文字で返すのアリなの?実際のしりとりだと「えっ?あ、その『木』ね」と理解に時間がかかる返しだ。(あくまでも個人の見解です)何でもアリというルールなのでと思い出し、読み進める。
確かに、粗い。木から、人間の生き方・文化まで派生している。ぶっ飛んでいる。しかし、面白い。どれだけ倒れても根があれば立ち直れる、文化は永遠に変わり続けるなど「なるほどなぁ」と思わせる文章だ。
と、ここまでで気付いたことが一つある。それは、「言葉を永遠に投げ続ける」ということが粗さにつながってくるのではないかということ。彼の文章もとにかく自分の思いを聞いてくれ!(本当に思っているのかは知らない)と、言葉を投げ続けている。それが熱となり、面白いと思わせることにつながってくるのではないだろうか。
ということで、このnoteの初期目標は「熱をなるべくその温度のまま言葉にして投げ続ける。そして好きを共有する」に設定したいと思う。

稀勢の里という力士


かなり長くなってしまったが、ここからは私のターンだ。今回は稀勢の里寛について思う存分語りたいと思う。
「また相撲か」と思ったそこのアナタ。ちょっと待った。稀勢の里という力士はドラマ化しても良いのではないかと勝手に思うくらいの力士なのだ。
よく「私を動物で例えると」という質問を自己紹介か何かで行う。普通なら、犬やパンダのように一つの動物で回答する。しかし、私の思う稀勢の里は違う。「ウサギとカメ」なのだ。一見すると全く違う性格の動物だが、両方の特徴を稀勢の里は体現しているのだ。
というのも、幕内(テレビで16時から映し出される力士たち)に上がるまでのスピードは歴史に残る速さであった。しかも中学校卒業後すぐに入門しているため、年少記録も残している。もちろん雑誌にも紹介されるホープであった。幕内昇進後も上位に上がってくるまで時間を要さず、あっという間に
定着してしまった。

稀勢の里を認識した日


と、ここまで書いてきたが私はこの時期の稀勢の里を知らない。彼を初めて認識したのは、白鵬の連勝を止めた平成22年九州場所2日目の取組である。それまで、白鵬は無双状態で、4場所連続全勝優勝という記録を残している。ちなみにこのとき私は、朝青龍が突然引退(平成22年1月場所後)のショックとその後の白鵬の無双状態が相まって、早く誰か横綱になってくれと願っていた時期でもある。(白鵬関と白鵬関のファンには申し訳ない)
それほど白鵬は強く、雑誌のコラムでも白鵬をどうやって止めるかが話題になっていた。(あまり記憶がないため、覚えている方がいればコメントお願いします)
そして、白鵬が歴代1位の記録69連勝を抜くのか否かが注目されていた九州場所。先ほどの取り組みで谷風梶之助の63連勝を抜くかどうかが稀勢の里戦でかかっていた。取組内容については動画サイトで調べてもらいたいのだが、とにかく凄い一番だった。お互いが死力を尽くした一番。あんなに当時の白鵬が土俵上を動いているところを見たことが無かった。取組が終わった後、私は信じられない光景が目の前に起きたことに叫んだことを覚えている。(白鵬関と白鵬関のファンには申し訳ない)
そこから、彼を応援することに決めたのだが、ここからが長かった。

つかみ取った大関。そして…


まずは大関(上から二番目の地位)にたどり着くまで。あの白鵬を破った1番からちょうど1年後の九州場所で大関昇進を決めるのだが、その場所の直前に、師匠である鳴戸親方が急死してしまったのだ。鳴戸親方といえば、当時1,2を争う稽古量と厳しさが有名だった部屋の親方である。そして、いつか自分の中で最も期待している力士に対して付けようと考え、温めておいた四股名「稀勢の里」を命名したのもこの親方である。ちなみに、この四股名を決めるとき、稀勢の里は父と相談して「武の里」にしようとしていたらしい。(『愚直』p63-64『我が相撲道に一片の悔いなし』p72-74)それほど、稀勢の里に期待をかけていた親方が急死したのだ。これ以上の試練は無かったのではないか。事実、場所前に不安を感じていたらしい。(『我が相撲道に一片の悔いなし』p116)
それを乗り越えての大関昇進。そして、当時しばらく起きていなかった、日本人の優勝と横綱昇進を期待され、さらなる挑戦を始めていた。
ちなみに2012年初場所―2017年初場所約30場所(5年)かかりながら横綱に昇進した。その間優勝まであと一歩が何度もあった。千秋楽に負けて、白鵬との直接対決に負けて、前半戦の負けが響いて、などなど惜しい場所が多かった。その度に私もテレビの前でドタバタして、親に怒られていた。

そして、念願の初優勝と横綱昇進


ついに2017年初場所に念願の初優勝を飾り、横綱昇進を決めた。新横綱として臨んだ春場所。順調に星を重ねた稀勢の里は日馬富士と13日目に対戦。その際に左腕という自分の一番の武器を負傷してしまった。「これはもう優勝できないな…」と感じていた私に、彼はまたもドラマを起こしてくれたのだ。14日目鶴竜に負けた後の千秋楽、1差で追いかける照ノ富士との取組。本割、優勝決定戦の2番を勝たないと優勝できない稀勢の里はまさに絶体絶命。その本割は一度立ち合い不成立の後、照ノ富士が攻めるところを突き落とし稀勢の里が追いつく。そして優勝決定戦。照ノ富士がもろ差しとなり、攻めるところを逆転の小手投げ。私も「あ、これは照ノ富士だ」と思ったところからの大逆転劇。しかも2回。これは凄いとしか言いようがない。この取組はYouTubeに動画があるので見ていただきたい。(照ノ富士関と照ノ富士関のファンには申し訳ない)
このとき、亡くなった鳴戸親方と同じ新横綱優勝を実現させたことも凄いと感じるポイントだ。

終わりに


彼の相撲人生の前半はまさに順風満帆。ウサギのような速さで駆け上っていった。しかし、そこで眠らずに実直に横綱というてっぺんを目指し、努力したのが稀勢の里である。後半はカメのようにゆっくりではあるが、成績を残し続け横綱の地位にたどり着いた。
決してあきらめない。弱音を表に見せず、目の前の一番に集中する。
これが自分の中でもトップクラスに印象に残った力士稀勢の里である。
かなり長くなってしまった。まだまだ書きたいエピソードは山ほどあるのだが、これは別の機会にしようと思う。(本文中は敬称略)

読んでくださった方の中で、「こんなエピソードもあるよ!」という方がいらっしゃいましたら、コメントを頂けると嬉しいです。もちろんそれ以外の方も大歓迎です!最後まで読んでくださりありがとうございました。

p.s.
このままと毎回「き」で終わるから、四股名の最後の文字「と」で始めてね。

参考・引用文献

【大相撲】新横綱稀勢の里が逆転優勝! 本割・優勝決定戦・そして表彰式で涙 dsfds fds
Wikipedia 「横綱
Wikipedia 「白鵬翔
Wikipedia 「大相撲平成22年1月場所
大相撲.jp 「谷風力士情報
荒磯寛 「我が相撲道に一片の悔いなし」 ベースボールマガジン社
荒井太郎 「愚直 ~平成最後の日本人横綱 稀勢の里の魅力とはなんだったのか」産業能率大学出版部
月刊相撲 12月増刊号 「誕生!新大関稀勢の里」ベースボールマガジン社


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