3年間を振り返ってみた。

そろそろ自分は次のステップに進むことになる。その前に、自分をとことん考えさせられた3年間について振り返りつつ、整理していきたいと思う。

2020年

3年前のちょうど今頃、私はどのゼミに行くか迷っていた。特にやりたいこともない。できれば緩いところがいい。とりあえず入れればいいや。
…そんなことばっかり考えていた。紹介のパンフレットを見ながら、なんとなく目についたところを見ては、HPを探し、緩いかそうでないかを見極めていた。
その中でも面白そうなところに応募してみたものの、特に対策もしていなかったため不合格。いよいよマズいと思って、とりあえずまだ募集をかけているゼミの説明会に参加した。その説明会も途中から参加し、質問会では「今から入っても、他のゼミ生と仲良くできますか?」というやる気があるのか分からないような質問をしていた。
そのゼミに奇跡的に合格し、入ゼミしたものの2週目には既に辞めたいと思っていた。まず圧倒的に時間が長い。これは完全に予想外だった。昼に始まり、気付いたら野球が終わっているなんてこともあった。
そして次に、同期が凄すぎる。議論の時間には、誰かしらがその場を回し、誰かしらが議事録を取り、誰かしらが積極的に発言していた。その発言がどんどん回っていき、議論が活発になっているではないか。そして出てくるアイデアの量も多い。
それもそのはず。なぜなら他の同期は、やりたいことがあるor成長したいという気持ちで入っているのに対し、自分は友達が欲しい・なんとなくやってみようという気持ちのため、そもそものゼミに対する態度が違うのだ。
この時点で入ったことを後悔した。逃げたいと何度も思った。

2つの性格

このゼミは、「考える」を大切にしている。そのため自分はどう思っているのか・何を考えているのかを相手に伝えることがおのずと増えてくる。しかし、それまで大人数が苦手・知らない人に対しては仮面をかぶってやり過ごしていた私にとっては、「伝える」ということができない。また、基本的にめんどくさがり屋でもあるため、難しいことを考えると10分もしないうちに飽きがやってくる。
これでは議論に入ることができないのも当然である。正直今考えても、当時の自分とゼミは合ってない。ならば辞めて他のところに行くべきだ。だが、ここで今も自分を大きく悩ます2つの性格が出現してきた。
1つ目は、「周りの目が怖い」。人見知りである自分にとって、一度きりの関係である人や、そこまで会わない人に対しては、仮面をかぶりつつ明るく振る舞うことができる。しかし、このゼミは違う。今後3年間は同じ仲間と続けていくことになる。そんなグループでハブられでもされたらと思うと、穏やかに、できるだけ嫌われないように八方美人でいてしまう。議論中の発言でも、「今の発言は空気を読めているよな」「誰かを傷つけてないよな」などの考えが出てきてしまい、集中できない。
また、辞めたいと思っても「あいつもう辞めたの?」と思われてそうなのがとても怖く、嫌われずに穏便に過ごすために、辞めないという選択肢を選ばざるを得なかったのだ。
そしてもう1つは「高いプライド」。自分はできる人間だ。面白い人だ。センスあるから、議論中活発にならんでも、1発で決められる。と根拠のない自信を持っていた。そんな最中で辞めようとしたら、「自分は辞める人間ではない。絶対にできるはずだ」という訳の分からないプライドが出てきて、思いとどまるということが何度かあった。
この2つの性格が先行して、ゼミ1年目は他の人がやらないような仕事をやることで、同期からの株を上げるとともに、この仕事ができる自分はカッコいい、これだけ時間を費やしているってことは仕事してるなーとだけ考えて、過ごしていた。
事実、定期的に送られてくる他のゼミ生からのフィードバックでは、「リーダー」とか「真面目」という言葉を貰って、余韻に浸っている自分がいた。しかし、それは自分の手柄ではなく、他の人の受け売りを利用しまくっているからであり、0→1ができているというわけでは無いという現実にまだ気づいてないだけだった。

2021年

自分に酔いながら始まった2年目は余計に辛かった。今までは、トップダウン型の仕事をこなしていけばよかったが、そうはいかなくなったからだ。
誰かが言ったことを利用する・指示されたことをそのままやる。それだけで評価を貰っていた1年目とは明らかに違う世界だった。
しかし、それでも自分の才能を信じてやまない妄信的な私は、愚かにもそのまま突き進んでいった。人とは違う。自分は面白い。成果をだして評価が欲しい。そんなことを考えていた2年目はそんな理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむことになる。
考えたものが一瞬で吹き飛ぶ。また考え直す。吹き飛ぶ。考えることができなくなる。何かがおかしい。それでも無理矢理進める。そんな時間が半年くらいたった2021年の夏頃、ふとある思いが頭をよぎった。
「自分はこのゼミにいてもいなくても変わらない存在なのではないか」
今まで言われたことを忠実にこなしていた。これだけだと聞こえはいいが、裏を返せば自分を捨てて、何も考えずに行動しているということに他ならない。それならば、自分がやる必要もないし、そもそもそういう人材をこのゼミは求めていない。
加えて、後輩がものすごい才能を持ってゼミに入ってきた。明らかに去年の自分では太刀打ちできない。なんなら今の自分でも負けている。そんな後輩が大量に入ったことによって、自分だけでなく同期の存在価値も無くなろうとしていたように感じていた。
ここで初めて危機感を持った。必要とされるには・存在価値を高めるためにはどうすればよいか、とにかく考えた。そんな中でゼミ内のコンペというチャンスが巡ってきた。後輩も同期も関係なく、面白い企画を考えればOK。単純明快なこのチャンスに、自分は持っている時間を全て費し、勝負をかけた。結果としては最終選考までは残ったものの、企画が採用されることはなかった。
自分としては満足していた。ある程度ゼミ内での評価ももらえたし、企画力が認められたということで少しえぐられていた自信をちょっと回復することができたからだ。そしてその後も、自分がメインとなり研究をすることが決まるなど、夏休みは順調に段階を踏むことができた貴重な時間となった。

沼にハマった秋

夏が終わり、自分は研究のための資料集めや原稿作成などを行っていた。しかし、これがにっちもさっちも上手くいかない。毎週指摘されては、修正。これが1ヶ月くらい続いたが、次第に変な方向に進んでしまい、必死にやっても軌道修正ができない。何をしてもうまくいかない。抜け出すことのできない迷宮にハマった気分だった。しばらく経ったある日、私は研究中止の知らせを受けた。そして、同期の研究を手伝うことに専念することも同時に伝えられた。
途方に暮れた。せっかく存在感を出せてきたと思ったら、振り出しに戻った。しかし、同期の研究も急がねばならない。締め切りまで2ヶ月を切っていた。無理やり整理し、作業を始めた。ここから人生で一番辛い2ヶ月が始まった。

極限の2ヶ月 そして…

朝起きて、すぐ着替えて学校まで直行。そこから学校が閉まる時間まで議論。家帰って、風呂浴びて、その日出た宿題をつぶす論文探し。
これをほぼ毎日やっていた。0→1を作っては崩し、提案しては考え直し、一歩進めたと思ったらまた振り出しに戻る。朝からぶっ通しで行い、帰りながら論文、家に帰って論文探し。睡眠時間も足りず、通学時間を全て睡眠に費やす。
これを続けていくうちに、頭が働かなくなっていき、気付いたら極限状態になっていた。他の同期も(恐らく)そうで、正直雰囲気はよくなかった。空気が淀み、お互いイライラして、不満ばかりが溜まり、気付けば言葉を交わすことが少なくなっていた。
自分もそうだった。「こんなに頑張っているのに、なにしてるんだ」と何度も思ったが、それは大きな間違いだった。他の同期も、この研究に懸けている。その気持ちを汲み取ることができずに、雰囲気を悪くしてしまったことが、最終的にバラバラになった原因だったと思う。

この2ヶ月が終わり、また個人の作業になった。しかし、以前の研究で自信を失ったのか、どんどん負の感情が溜まっていった。そして、あんなに辞めたくても辞めなかったゼミを辞めた。しかも、後輩に仕事を残すという迷惑をかける形で。今更だが本当にごめんなさい。

振り返ると、自分はメインで何かをやるということよりも、誰かを支えながら好きなことをやることが向いていて、0→1ではなく、1→10の方が好きなのかもしれないなと感じる。これを気づかせてくれ、自分に足りないものを多く経験させてくれたゼミには感謝しかない。

と、ここまで自分の中で整理しながら書いてきた。今でも人の目を気にしている。この文章を書く必要があったのか、自己満足ではないのか。
それでも、けじめをつけるという意味でも書いておきたかった。辞めてからこの1年間頭の中で残っていた思いを整理したい。そう思って書いてみた。
一つ読者の皆さんに理解していただきたいのは、決してこの文章は誰かを責めたり・貶めたり・非難したり・嫌な思いをさせるために書いているわけではないということだ。本当にそれは思っていない。それだけは理解して欲しい。それでも意図せず読者の方にそういう思いをさせているかもしれない。もしそうならば、本当にごめんなさい。そして、連絡をください。すぐに対応します。

2022年

ここからは、友人や同期に対する思いを書いていきたい。というのも、やはり自分は周りの人に支えられながらここまで来たという思いと、今まではっきりと謝意を伝えたことが無かった。たとえ一方通行の思いであったとしてもちゃんと伝えておきたい。
そして、読んでくれていたら嬉しい。

友人へ。

苦しい2年間を乗り越えることができたのは、定期的に話を聞いてくれた友人たちがいたからに他ならない。
もう飽きたわと言われてもおかしくないほど、話していた記憶があるが、それでも付き合ってくれた。感謝しかない。
自分が悲観的になったとしても、モヤモヤした感情を持っていたとしても、それを吹き飛ばすことができるくらいの会話をしてくれたことで、そのときだけはすべて忘れることができ、リセットすることができた。これも自分にはない才能だ。それに救われた。今も救われている。
今でも関係が続いていることは奇跡的なことだと思うが、今後もバカな話を続けていきたいし、遊びにも行きたい。これからもよろしくお願いします。
ありがとう。

同期へ。

間違いなく言えるのは、この同期に出会うことが無ければ、これまでの自分を変えることはなかったし、多様性を認めることもできなかっただろう。同期の考えることが一癖も二癖もあり、交流すればするほど味わい深くなっていた。そしてそれを羨んだりもした。自分には足りない積極性、慎重さ、発想力、爆発力。
そして、作業がひと段落した後の帰り道や雑談はかなり楽しかった。同じ状況でもがいているからこその感情、それが解放されたときの感情をさらけ出しながら雑談する時間があったからこそ続けられたのだと思う。同期というよりも戦友のような気がしている。
だからこそ後悔していることがある。全員でどこかに遊びに行く機会が無かったことだ。全員が作業モードオンの状態でしか交流していないため、その状態がほどけた状態で遊びたかった。恐らくカオスな状態だろう。それが面白いのだ。

明日久しぶりに同期で集まる機会がある。私が熱望して、集まる機会を設けてくれた。感謝しかない。どうなるのか全く分からない。人見知りの私だから久しぶり過ぎてだんまりかもしれない。グダグダになるかもしれない。そうなったら笑ってほしい。
そしてできれば、関係を続けていきたい。せっかく出会った仲間だ。できれば飲みながら近況を語りながら、笑い合えればいいなぁ。

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