風に恋う帯無し

風に恋う|第1章|07

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 玄関を開けたらダイニングは真っ暗だった。瑛太郎が使っている洋室ももちろん暗いが、その隣にある和室の戸からは、うっすら明かりがこぼれている。

 帰りがけに持たされた肉じゃがの入った紙袋を抱えたまま、瑛太郎は和室の戸をノックした。返事は聞こえないが、「入るぞ」と言って引き戸を開ける。

 煌々と明かりが灯った六畳の和室で、徳村尚紀はノートパソコンと睨めっこしていた。大きなヘッドホンで音楽か何かを聴きながら、一心不乱にキーボードを叩いている。ノックしても気づかないわけだ。さすがに瑛太郎が入って来たことはわかったようで、ヘッドホンを外して「おかえり」と顔を上げた。

「俺が出かけてからずっとやってたわけ? もうすぐ九時だけど」

 勤務初日だし、いろいろと準備をしたくて瑛太郎がアパートを出たのは朝八時前。そのときすでに徳村は仕事をしていたから、十二時間以上パソコンに向かっていることになる。

「マジか……。腹減るわけだよなあ」

 目元、眉間、こめかみ、首の付け根を順番に指で揉み、徳村は天然の癖毛に指を通す。

「三好先生の家で肉じゃがもらってきたけど、食べる?」
「食べる!」

 差し出した紙袋に飛びついた徳村に思わず吹き出し、台所で一人分の肉じゃがを取り分けて電子レンジに放り込んだ。炊飯器には、出勤前にセットした米が炊きあがって保温されていた。

「瑛太郎は飯食ったの?」
「三好先生の家でたらふく」

 温めた肉じゃがとご飯。冷蔵庫に入っていた梅干しと漬け物を出してやると、しみじみとした顔で徳村は肉じゃがに箸を伸ばした。

「先生、元気だった?」

 瑛太郎が吹奏楽部の部長だった当時、彼は副部長を務めていた。

「昔の半分くらいのサイズだけど、元気は元気だった。でも、『俺じゃあもう無理だ』なんて言ってたよ。吹奏楽部を全日本に連れて行けないって」
「病気すると、人ってそこまで弱気になっちゃうもんなんだね」

 徳村の向かいに座って、瑛太郎はテーブルに頰杖を突いた。

「今の吹奏楽部の様子を見ると、先生がそう思うのもわからなくもないんだけどな」
「そんなに酷ひどいの?」
「酷い訳じゃないけど。何か、まったりしてるんだよ。一年がまだ入っていないにしても、五十人も部員がいて、一箇所に集まってるのに、鋭さみたいなものがないというか」

 いい意味で穏やかで、和気藹々としている。悪くいえば緊張感とか威圧感がない。瑛太郎が吹奏楽部の様子を見たのは、今日が初めてだ。入学式で入場曲や校歌の演奏があったからと、放課後の練習時間は短かった。今日だけじゃなくて、全体的な練習時間が瑛太郎がいた頃に比べて短くなっている。朝練も自主練習のみだという。

「そもそも、千学に女子がいるっていうのが、もうな……」

 ぽろりと、そんな本音がこぼれた。箸を止めて、徳村も大きく頷いた。

「やばいね。学校に女子がいるって」

 自分達が高校生だった頃、千学は男子校だった。経営難のために共学化したのは三年前。その少し前から千学は大学進学率のアップに力を入れ始めた。

 あの頃――自分達にテレビ局の撮影スタッフが密着していた頃、瑛太郎は部長として、カメラの前でさまざまな発言をした。励ましも叱責も、あくまで男しかいない中でした。あそこに女子生徒がいたら、同じ行動を取っただろうか。そもそも、部長は自分だっただろうか。




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