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noteって、多分こういうところ。

noteを始めて約半年。
すきなものをすきなように書いてきたけれど、マンネリ化を否めずに居た今日このごろ。
そんな時にふと目に止まったツイート。

中級勉強会の広報にはアンテナが全然引っかかっていなくてそんな勉強会があったことすら知らなかったのだけれど(ごめんなさい)、このワークショップには
「んっ、行かねば!」
とびびっときて、すぐに参加を決めた。

早めに外苑前駅に降り立ち、少し冷えた身体をスターバックスのアールグレイティのソイラテ(いつもどおり、フォームミルクはスプーンで掬って食べた)で温めて会場へ。

イベントレポート等で何度かみたこの場所を自分が訪れることになろうとは。

受付。普通ならフルネームを伝えるところだけど、今回は
「イコカです」
と、申し出ました。言い慣れていないその名前に、自分の口が困惑して少しどもる。しかしスタッフさん(その後ご挨拶をしました、マスモトさん)はそんなこと気にも留めず、
「イコカさんですね…ああ、ありました。ご参加ありがとうございます!」
と満面の笑みで迎え入れてくださった。

会場は、真っ白な広い空間。
その一番いい場所にスクリーンが下げられ、どこに座ってもスクリーンを必ず眺められるようにテーブル・イスが配置されていました。
好きな場所へどうぞとのことだったので適当に座ってみると、同じテーブルを囲む4つのイスは微妙に背もたれのファブリックが違ったり、手すりの作りが違ったりして面白かった。

ひとも、空間もちょうどいい温かさで歓迎してくださったのだった。

ワークショップ自体はうすいさんの進行のもと、水Pさんことみずのさん(なんとなく水Pさんと呼ぶのは畏れ多いのでみずのさんと呼ばせていただきたい)とのトークから始まった。

そういえばその導入トークもちょうどよくゆるかった。
開始時間の5分前くらいには参加者の9割程度集まっていて、場をつなぐのと温めるのを兼ねてお二人が話し始めたんだけど、気づいたら元々コンテンツとして用意されていた部分に掛かっていて、みずのさんが
「じゃあもう始まってるってことでいっか」
と言ってしまうという。
動画中継チームの皆さんが慌てて中継スタートされていて、くすっときてしまった。

2時間のワークショップ、前半はうすいさんとみずのさんのトークレクチャーで、noteのミッションや自分のnoteをどのように位置づけたらいいのかのお話。
後半はnoteが書きたくなる(=自分が読みたくなる)ワーク実践。noteを更新するクリエイターの自分以外に、第三者視点で意見する編集者の自分を持つことを最終ゴールとして、グループ・ペアでワーク。

実際どんなレクチャー・ワークだったかは色んなひとのレポート(#noteが書きたくなるワークショップ)を見てくださればわかると思うけど、充実した内容であっという間の2時間だった。

それで。
わたしもこうしてレポートを書いているわけだけど、ワークショップの内容や得た知識を書くことは辞めた。(だから上述の通りハッシュタグへのリンクを貼りました、他の参加者のみなさんお任せしてすみません!アンドありがとう!)
やっぱりわたしがこの日いちばん印象に残ったことを書くべきだと思ったから。

それはワークショップ中のことではなくて、全部終わった懇親会のときにふと我に返って思ったこと。

個人のブログとかウェブ記事…その他諸々、いろーんな媒体があって如何様にも発信できるこの時代だけど、「○○になる為にすべきたった5つのこと」とか「こんな○○は見切ってしまえ」とか強いコンテンツじゃないと評価されづらいとぼんやり感じるわたしがいる。
通勤電車でぎゅうぎゅうになって誰とも目線を合わさないためにドアの方を見ると貼ってあるのは、10センチ四方程度に先般述べたような文句とスーツ姿で腕組みするビジネスマンの写真が詰め込まれた広告。あるいは小学生のおならドリルのお知らせのどちらかだ。

わたしはエッセイが好きだ。
例えばタレントで小説家の阿川佐和子さんは『ぷくぷく、お肉』という随筆集の中ですき焼きにまつわる話を書いている。

父はすき焼きを始める前に、決まってやっていたことがある。それは、食卓に置いたすき焼き鍋がそろそろ温まった頃合いを見計らい、「まずは一枚だけ」と言って鍋にバターをひき、すき焼き用の肉を一枚、そこで焼く。ジュー。たちまちバターのいい香りが立ち込める。
「あたしも」「僕も」
家族もれなく一人ずつ、一枚だけバター焼きにするのが恒例となっていた。軽く焼いた薄切り牛肉を皿に載せ、そこへレモンと醤油をチョチョッとたらし、すばやく口に入れる。

出典
スキヤキスキスキ|ぷくぷくお肉|阿川佐和子|河出書房新社

字面を追っているだけなのに胃の方が勝手に反応してしまって、お肉が入ってこられる分のスペースを空けてしまう。ぐう。
何ってこのすき焼き前哨戦、我が家でも恒例行事なのだけれど、微妙に違うところが憎い。うちではバターではなく牛脂で焼き、肉がまだ赤いうちにチロリと醤油を垂らす。肉と鍋肌がジューと音を上げたと同時に、お皿を介さず一気に口の中へ引き上げる。これが美味しい。これが本当に美味しい。んだけれど、バターとレモンの美味しさってのはどんなもんなんだろう。
他人のすき焼き事情なんてどうでもいいけれど、なんか愛おしいと思う。

けれどそういうものをいくら発信したって、”あの”作家が書いたとか、”あの”俳優が書いたとかでない限り、広いインターネットの世界では誰かの目に留まることはほぼほぼなく星屑となるだけ。
しかし「○○になる為にすべきたった5つのこと」のように、明日から始められそうで仕事や人生設計で役立てられそうな実用性の高い記事は多くの人の目に留まり、反応も返ってくる。

こんなインターネットの世界で、わたしのような人間、というか
「どうでもいいけれど、なんか愛おしいもの」と、「それを愛おしく思う普通の人たち」にも居場所をくれたのがnoteでは、思った。
多分、

noteはあらゆる人に寄り添う、プラットフォーム。

いますぐ、あるいは明日、役に立つようなことや結果が出るようなことである必要はない。
日記やエッセイで構わない。
サッと描いた絵だっていい。音楽だって、写真だって、たった一言でもいい。
あなたが、発信したいのならそれがいい。

もしかしたら誰かが明日を迎えるための後押しになっているかもしれないし、何より自分の明日がすこし豊かになる。
それを体現、かなえてくれる場所がnoteなのだと感じた。


というのも、懇親会のときに思い切って嘉晶さんにご挨拶させていただいた時のこと。嘉晶さんとは兼ねてよりnoteやTwitterを通して交流させていただいていた。一緒にいらしたナナミチさんにもご挨拶し、しばらく3人でお話した。その時に、
「noteは日常系の人も肩身狭くすることなく居られるのがいいですよね。」
という言葉が出てきて、ああ、そうだって思った。

会場をぐるっとみると色んな人が居た。
わたしと同じテーブルだったイラストレーターのほわっとした方、キャリアウーマンという類に入るのであろう綺麗な眉を持った方、恐らくリタイアされてるんだけど白髪を一つに結わえて溌溂と話されている方…
中には「○○成功術」なんて話を持ってそうな方もそこそこ居たけれど、どなたも顔をちょっと赤くして談笑していた。いやな摩擦や衝突が起きているなんてことはなく、むしろそれぞれ違うものがいい具合に混ざりあった、それはとても心地の良い空間だった。

noteの持つちょうどいい温かさ、敷居の低さ、包容力が、こういうコミュニティを作っているのだろうとなあと、用意された伊右衛門緑茶をプラコップに注ぎながら思っていた。
ノンアルの飲み物の減りが早いのも印象的で、なんかnoteらしかった。

みずのさんがnoteのミッションは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」ことだと言っていた。

さいきん著名な方々もnoteを始められているし、noteはこれからもっともっと知られていく。
すでに著名な方のnoteがたくさんスキを集めているしピックアップもされていて、決してわたしはそれに否定的なのではなく、noteという場に飛び込んだから「難しいかな…でも読んでみよう」と目を通す機会が増えた。
そしてnoteが盛り上がるのと一緒に、いまは自分が「普通の人」だと思っているnoteユーザーさんが著名な人にもなっていくんだろうなあと思う。
noteはもっともっと大きくなっていく予感がする。

ただ、もしよければ、
「どうでもいいけれど、なんか愛おしいもの」を「それを愛おしく思う普通の(社会規模で言えばどうなっても大差ないけど、きっと誰かの愛おしい)人たち」にも、
いまと変わらず、居場所を分けてくれたら嬉しいなあと思った。
いい夜だった。




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