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なんで会いにいかなかったんだろな

もう30年以上前になるんだな、中学時代って。その頃の友だちは今は誰も交流していない。

荒れた中学だったもんなー。まあ、少し上の学年よりはマシだったけど。特に女子が荒れてた。

だけど吹奏楽部はそこそこ強豪で、私は部活にのめり込んでた。世の中はまだバブルの残香もあって、個人購入しなくてもそこそこの楽器が揃ってたのも、ラッキーだった。

私も含めて県営団地に住んでる子も多かったし、何十万の楽器をポンと買える家庭は少なかったと思う。

そんな中、同級生の彼女は地元の名士でお店経営の社長の娘だったから、サックスを吹く中高生垂涎のフェルマーのアルトをサクッと買ってもらってた。

中1の頃、同じ楽器だったから私はすごく彼女と仲良くなって、部活から帰って8時とかからよく家の電話で長電話した。

彼女は先生にも先輩にも物怖じしないし、自分の信念を強く持っているように見えて、自分にはないカッコ良さがあった。

なにより部活の一体感は強く、大会に向けて休みなく練習し、共に先生に怒られ、共に汗を流し、涙したり笑いあったり、仲間だ!という体感があった。

ただ、経済状態が良ければ何もかも良いという訳ではないことをこの頃知った。彼女の中には家族に対していろいろ思うこともあり、他にも原因はあったかもだけど、少しずつ荒れてしまって、部活以外ではだんだんと疎遠になり、高校以降は没交渉となってしまった。

20代の頃に一度、彼女の実家の店に行ったら偶然出会えたことがある。というか、その偶然の出会いを期待していた。色々あったけど、今どうしているのかな?元気かな?という気持ちだった。

立ち話の中で彼女は、実家を手伝っていること、土日もなく朝晩急用の入る家業では、なかなか結婚は難しいこと、夜は飲み屋に行って発散していること、なんかを話してくれた。同級生で集まらない?と軽く聞いたけど、あまり乗り気じゃなかった。

結婚して地元に住んでおらず、国家試験の勉強をしていた当時の私は、少しずつ全部違う彼女と、また疎遠になった。

それからさらに15年位経って。実家には週数回通うようになった。実家と彼女の店は車で10分もかからない。3年半前から何度となく店の前の道路を通った。

いつか行こう、いつか会いに行こう。いなかったとしてもご家族はいるだろうから近況を聞こう。そう思っていた。なのに行かなかった。

先週、ふいに最近旧交が復活した同級生から、どうやら彼女がこの夏に亡くなったらしいと聞いた。理由はよくわからない。時節柄、家族葬だし、ご両親も高齢で、さらにお店もここ数ヶ月閉まっていて、これ以上は全くわからない。

聞いてから、もやもやが止まらない。

会いに行けばよかったのに。本当に後悔先に立たずだなあ。すでにご両親も高齢だから問い合わせることだって憚られる。

人生は不思議だ。学生時代なんて本当に短いのに、あの時代にもうほとんどのコアな自分はできていて、まあ都合よく脳内で脚色されているんだろうけど、半分以上はカラー映像が浮かび上がる。

とくに思春期の子がいるからだろうか、オーバーラップする。あの生き生きした彼女の表情や、打ち明け話。一緒の高校行きたいと、自分から告白した時の気持ちも思い出せる。

でも、もう本当にいないんだな。安らかに眠っていることを願うしかない。

これからこういう話は増えるのだろう。というか、自分自身もずっと健康というわけではないし、結構太っちゃったから、若い頃の友人に会うのに気が引けたりもする。

でも、こんなにもやもやするのは辛い。会える時には会いたい人に会うって、自分のためにしなきゃだなと思う。


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