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競う上での「正しい動機」を用意する



「慈・悲・喜・捨」4つの心構え

慈(慈しみの心)
 「相手が幸せであるように」と願う心
悲(悲の心)
 相手の苦しみや悲しみをそのまま理解する心
喜(喜の心)
 相手の喜びや楽しさをそのまま理解する心
捨(捨の心)
 手放す心。例えば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけなど。


本来ならば誰しもが持っているこの4つの心がけを現代人は見失っている。
心はどこか渇いている。焦っている。

上記の4つを人生のモチベーションの土台に据える。


生きることには苦しみが伴う


ブッダが説いた「四聖諦」だけを見れば「仏教は悲観的でネガティブ」だと思われるかもしれないが人生の真実を語っているだけ。
勘違いすべきでないのは、それを「結論」ということで終わりにするのではなく「人生を作っていこうという!」という出発点にするということ。

自分も周りの人間も、人は皆それぞれの現実を精一杯生きている。
そういう理解に立った時に、人は新しい人生を歩み始める。

人が、我欲と怒りと妄想に執着すれば、必ず苦しみ・満たされなさが生まれる。
欲望とは「欲求」+「妄想」のこと。

慈・悲・喜・捨 は永久の真理。
この4つを働く動機、生きる目的に据えるなら「競争」という現実の中で、「自由」を感じることができるだろう。




◎今日の呟き
今だからこそわかることなんですが、私は現在の仙人のような生活(ミニマリスト/基本的に一日一食/肉は食べない/毎朝走ってヨガと瞑想)になる前、普段の仕事の中で自分で自分のストレスを作り出していたことに気付きました。
それは、今回のnoteの内容が書かれてる本にも書かれてることなんですが常に”反応”していたということです。
それ以前に、日頃の生活や自分の力、諦めるしかないようなどうしようもない現実、そう言ったものに不満を持っているけどアレコレ言い訳をつけて立ち向かわずに逃げてきた自分の存在がまずストレスそのものでした。
自分に納得いかない→自分が嫌い→人間が嫌い→周りも似たようなものだろうと勝手に邪推→周りの人間も嫌いになる。
こんな感じでしたw
だからちょっとしたことでイライラする。
怒りを爆発させることはなかったんですが、表情に出るタイプだったようで若い頃にはよく「口と態度は素直だけどお前は顔に出てるんだよ」なんてよく言われていました。
それが仙人のような生活をすることになって、ほぼなくなりました。
まあ…”反応しなくなった”とは完全には言い切れませんが、怒りや憤りに変わる前に、反射的に「おかしい」と思ったことをすぐ口に出すようになれたことが大きいかもしれません。
自分の意見をハッキリと言えることで信用を得ることもできたように思います。
ミニマリズムを生活に取り入れたのは大きいかもしれません。

余計な、自分に対する不満や不要な物が周りからなくなると、本当に大事な物事に集中できるようになります。
そう言った考えは仕事に対しても生かすことができました。
仕事中、やりがいを感じてたのはお客様に喜んでもらえること。
詰まるところ嫌だったのは真面目に仕事に取り組まなかったり、どうしようもない愚痴を並べる同僚でした。
ただ、人は人、自分は自分であり、その同僚に対して「愚痴並べてないでやることやれよ」なんてモヤモヤ頭を漂ってたことが多々あったんですが、脳のリソースも有限であり、そんなことを考えてあげることそのものが無駄だと気づいて自分のことだけに集中し出してから、仕事を楽にこなせるようになりました。
結果、私にはそもそも無駄な思考が多かったということがわかりました。

人生の中で人を陥れることに”快”を見出しているように見える人も見てきたので、一概にこの本に書かれてることが誰にでも当てはまるとは言い切れませんが、少なくとも私個人は”感謝されること”を生きがいにするのが性にあってるようです。

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