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『掟』

 あのアナウンサーさんのように歯に物着せぬ物言いでつらつらと書きます!掟はないそうなので!
 先に宣言します。観て良かったし、本当に素晴らしい舞台。多くの人に観て、感じてほしいとも思った。

 ただ1幕、2幕、ずっと私の中にある言葉は一言「グロ……」でした。
 内容も、キャラクターも全部グロかったけど、私には劇場の笑い声が一番グロかった。
 笑い声が一番グロかったからちょくちょくどの年齢層が笑ってるんだろうこれ…と思って周り見ながら観てたけれど、私的に見てお年が上の方がメイン層として笑ってるのが本当に本当にグロいとしか言いようがなかった。年が若そうな人たちはそんなに笑ってなかったように見えたけどどうなんだろう…  場を作るという意味での笑い声は適切だし、正しいのかもしれないけど笑いたくはなかった。
 私はずっと笑えなかったから、なんで今笑ってるんだろうとかマジで分からなくてそれはちょっと聞いてみたいかも。コメディタッチに緩急が付けられているのは感じられたし、""笑いどころ""として提示された物語部分に「笑える人」と「笑えない人」が分断されているように感じてグロかったのかも。
 正常性バイアスが働いてるか、働いてないか、みたいなグロさ。
 お年を召した方々は、本当に今現実のどこかで起こり得ているこの物語に関して「コメディ」という立ち位置で笑えるんだ、というか。本人たちには結局届かないってこと?みたいなグロさと、あんたらの尻拭いを私たちがしているのに、という怒りとか、その他もろもろが劇場内に悶々としてた。

 安芸高田市の市議会とかそれこそ"切り抜き"含め結構良く見てて、あとは芦屋市とかも。
 それらは私たち若い世代にとっての希望で、でも直近だと芦屋市で教育委員長を市長が任命(指名?)しようとしたらその人がさいたま市の人で地元にゆかりがないからと否決されてたり、そういう根拠のない""掟""全てが誰かが何かを諦めるきっかけになりはしないかと思える。
 『掟』はそういう最近私が思ってた「これどうなの?」みたいな部分が全部強い問題提起として語りかけてくるみたいで「私もそう思ってた」「私もそうしたい」って、私が一個人として主張するための背中を押してくれたように思えた。
 
 私たちは数十年後の未来もここでなんとか生きなきゃいけなくて、でも今の政治を動かしてる人たちは数十年後どこにもいなくて"逃げ切る"ことができるから腐敗なんてできるんだよなあと思ったり。
 未来のことを真剣に考えなきゃいけないのは物理的に未来のある私たちで、でも投票率という云々よりも老人の数が多すぎて私たちの票じゃ太刀打ちできないというのもまたグロい現実であり。

 藤子・F・不二雄の『ミノタウロスの皿』で、「言葉は通じるのに話が通じないというのは誠に恐ろしいことであった」って台詞があるんだけど、それを彷彿とさせた。でも今回の場合、話が通じないというところに人間の感情とか立場とかが入り混じっていて、それが物事を複雑化させていたのもまた"人間"であるが定めで余計悲しいような、悔しいような。
 
 第三の権力としてのマスコミ、報道を痛烈に批判してたのも私的には結構グッときた部分だった。ジャーナリズムが問われる昨今、世間的には週刊誌だったりを叩く声が多いなあと感じてる。けど少年法を改正してきたり、そういう第三の権力として存在しえるのも報道の力で、その報道は普段はそれこそ"ゴシップ"のようなものを売り続けないと立ち行かないのも事実で、それはすべて私たち市民の興味の矛先の問題であるとも思うし、その堂々巡りは不健全なのは理解してるけど難しい。
 どんな御託並べたって、綺麗事だって、ありがちな言葉だって、結局私という個々人が意識を変えないことにはどうしようもなくて、その現実に私も膝を折って泣きたくなるくらいに無力だと叫びたいなあと。『掟』での市長の叫びが私の中に残り続けてしんどいです。

 伝える最適な語彙が思いつかないのであほみたいな感想で締めます。めっっっっっっっっちゃいい舞台でした。キャストさんの演技、物語、全てに心動かされました。千秋楽まで無事に幕が上がり、そして降りることを願っています。

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