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「被災した」あの日から1ヶ月。現状と前に進むための行動①

2024年1月1日。お正月。
石川県能登半島を震源に、大きな地震が発生しました。

私の実家は石川県羽咋(はくい)市。千里浜という車で走れる砂浜がある場所です。年越しは実家で過ごすのが恒例で、今年も年末から帰省していました。(写真は震災2日前の2023年12月30日撮影)

2023年12月30日の千里浜。晴れていてとても穏やかだった。

ここからは私と家族のこの1ヶ月間を、なるべく家族以外の人から聞いた情報を混在させずに自分の経験を元に書いていきたいと思います。(端折って書いている点がたくさんあるので、言葉足らずな表現になっていることお許しください)

地震発生当時の状況

私は発災時、夕方関東に戻る新幹線に乗るために、金沢に向かう車中にいました。

緊迫した状況でしたが、幸いにもすぐに家族全員と連絡がつき、無事を確認することができたので、それぞれが今できる避難をしました。私はその時、母と姉と一緒に行動しており、海辺ではあるものの高層の病院に避難することができたのですが、大津波警報が発令されていたので、その病院にはたくさんの人が集まってきているような状況でした。地震直後は混乱状態で、どの道路が通れるか、いつ動いていいか、正しい情報の獲得がとても難しかったです。怖い時間が続きました。父と妹と合流するためにも移動することを決断し、一時的に祖母の家(かほく市)に身を寄せることにしました。

翌朝(1月2日)、羽咋にひとり置いてきた祖母(当日はいとこが避難させてくれた)と自宅の状況を確認しに早朝から実家に向かいました。実家は築60年を超えており、過去に震度5以上の地震を数回耐えてきた家なので、倒壊していてもしかたないと半分諦めていましたが、倒壊は免れていました。両親と共に軽く喜びあった気がします(うろ覚え)。とはいえ、実家真下の地盤に大きな亀裂が入り、家の半分がガタンと落ちているようなかんじで、床が不均一に傾いてしまっている状態になってしまいました。一方で、家財に関しては、落ちたり倒れたりはあったものの、お皿一枚割れることなくほとんど被害はありませんでした。

2024年1月2日撮影

1月3日には羽咋市役所で罹災証明の申請受付が始まったので、すぐに母が提出しにいきましたが、現在(2月1日)も罹災証明の交付を待っている状況です。同じ状況の人がたくさんいることが容易に想像することができます。

内閣府防災情報のページよる抜粋(https://www.bousai.go.jp/)

また、家の状態を外見から判断する、建築物応急危険度判定の張り紙がされたのは震災から2週間がたった1月14日。実家は「黄色(要注意)」という判定でした。(これは罹災証明とはまた別です。)

羽咋市HP「建築物応急危険度判定の実施について」より抜粋
2024年1月14日撮影

国からの支援(羽咋市 能登半島地震 住まいの支援ガイド)は罹災証明が基準となっており、ほとんどのメニューは「半壊以上」から支援をうけることができます。

1月25日、国からの支援メニュー(被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケージ)が発表されましたが、実家のように、そのままの状態では住み続けることは難しいけど、「全壊」なのか「半壊以上」になのか、はたまた「半壊以下」になるかの状況が自分で判断できない場合、罹災証明書が発行されるのを待つしかなく、次の行動に移すのがとても難しい。自分たちでも優先的に支援が行くべき地域があることがわかっているからこそ、すぐに動き出せる状態なのに、動き出せない。

この先の生活をどう立て直すか、家をどうするか、どう行動していくのがよいのかなにも決まらない状態のまま、親戚の家での避難生活が続きました。親戚との仲はむしろ良いのですが、それでもさすがに親戚の家に居続けることもできず、1月24日に傾いた自宅に戻って生活をしています。

これから先、家の修理や解体などで専門業者の数は圧倒的に足りなくなるはずです。私の実家のような状況の家族は、気を長くもって耐えることになっていくと思います。優先的な地域や被災者の支援のあとを待つことになるのでしょうか。(この機会に似たような状況の方が居れば、情報共有だできると嬉しいです。)

VUILDにいるからこそできることはなんなのか。

少ない専門業者と自分たちの力で再建する方法を模索する

せっかくVUILDに所属しているのに、「床をジャッキアップしてもらって、とりあえずそこ住んで」と両親に言うのは、違うんじゃないかと思って、「こんな状況だからこそポジティブ変換できることがないだろうか」、VUILDメンバーに相談する機会をいただきました。

「少ない専門業者」と「自分たちの力」を掛け合わせた再建手法を、私の家をパイロットケースに進めてみることに価値があるんじゃないか、開発中のNESTINGでそんなことができるのではないか、当事者だからこそできる行動や発信があるんじゃないかというような内容をVUILDメンバーと話ました。

▶︎NESTINGのプロセスを示したnote『素人でもつくれる高品質住宅ー1か月で建つ1000万円の家』

NESTINGセルフビルドモデルを施工している様子

動いてみたら法律や、構造、お金の問題、いろいろ出てくると思います。実際、この場所ではできないってことになるかもしれない。でも動かないとなにも始まらない。また、地震直後から「顔の見える人の支援をしたい」とたくさんの友人たちから連絡がありました。そんな友達たちを呼んで、実家を建て直すのは単純に楽しそうだし、お互いにとってめちゃくちゃポジティブなこと。

私たちのこの動きが、似たような状況の誰かの背中を押すきっかけになるんじゃないかなと思っています。ただただ安全が確保できているかわからない状態を続けて、国から用意される応急住宅や支援を待つのではない、新しい選択の一つになるかもしれない。

これから先、またどこかで必ず災害は起きます。2040年の職人不足の流れも止めることはできないと予想できるので、スピード重視で建てられる画一的なプレハブ住宅の供給や、職人不足でなかなか自分たちのところに手が届かない状況をただただ待つのではなく、「少ない専門業者」と「自分たちの力」で再建することは、今後いまよりももっと重要度が増すとも思っています。

地震直後からいろんな情報で溢れ、この1ヶ月の行動が正しかったのか自分でも正直わかりません。世の中的には軽微な被害。この発信をすることでどんなふうに見られるのか・・・賛否もあると思います。
震災後からのXで発信されるさまざまな言葉によって行動を止めてしまうことを多く見ました。どうか、温かい所から批判を送るのではなく、あたたかい言葉を送ってください。「具体的にどうするのがよかったのか」「こういう行動をしていけばいいよ!」など、日本のどこで起きてもおかしくない災害において、次の行動に活かせる建設的なアイデアや前向きな応援コメントをいただけると嬉しいです。

また、困っている方々は教えてください。私に何ができるか、VUILDに何ができるか考えます。一緒にがんばりましょう~!

最後になりますが、VUILD代表の秋吉さんもnoteの記事を書いてくださったので、合わせてお読み頂けると嬉しいです。


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