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実家で飼っていた猫が息を引き取った。
思い出が記憶からふと引きずり出されると、反射的に涙が出る。
完全に記憶になってしまった。実体がおらず、今後もともに変化していくこともない。

それはそうと今週は忙しいのだ。忙しくて良かったのかもしれない。
いや、分からない。死んで悲しい、という感情が短絡的すぎて逆に猫に悪いと思い、死んだという連絡を受けた直後は涙を出さないように堪えた。次の日も用事があったので、目が腫れていると良くないなと思い、少し間を置いた。

実家猫に対する思いとか思い出とか感謝とかアレをもっとしてあげれば良かったとか、そういうものは”死を悼む”ことに対する自分の感情に都合が良くないか、いや普通にストレートに反射的に涙が出てしまうからじゃないのか。でもこれが死に対する向き合うということなんだと思う。いつかこれをやらないと後悔しそうだから時間が空いたらもう少し向き合おうと思う。今は保留にしておきたい。

感傷的な気持ちになるのは、何か都合がいい気がして素直にできない。

骨になり、旅立ったみたい。おやすみ。

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