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小学校の友達

誰も読まなくてもとりあえず毎日書いてみようと思った。
今日はお題が思いつかなかったので「お題スロット」というのでランダムにお題を求めたら、「小学校の友達」が出てきた。

小学校の友達といえば、ひろちゃんだ。
幼馴染のひろちゃんは保育園から一緒で、家が近くて、毎日一緒にいた。
小学校でも一緒にいた。
彼女は結構わがままだったが、私は自分で主導するより、相手のわがままにただ付き合っている方が楽だった。すごく気が合っていたわけでもないと思う。子どものころは、友達を「選ぶ」なんて意識はなくて、近くにいた人の近くに居続けるだけだった。

大人になってからは、気が合う友達がほんの少しいればいいというスタンス。
気が合わない人とでもとりあえず友達付き合いをするという感覚が理解できなくて、気が合わないのに近寄ってくる人に対しては「何が目的なんだ」といぶかしく思う。

いつからそうなったのかなあと思い出す。
小5のときにひろちゃんに「他の子とも仲良くしたいから」と言い渡されたことを覚えている。
小5の時、ひろちゃんと私のクラスに転校生がやってきた。
彼女が孤立しないようにと親切心を発揮して、転校生に声をかけて、自分たちのグループに入れた。
その後だ、ひろちゃんに私がべったりすぎると指摘されたのは。
これは別に転校生のせいではなく、ひろちゃんはそのころ別のクラスにもっと仲のいい子がいたし、交友関係が広かった。
ただ、ある人が孤立しないようにと気を配っていた自分が孤立した、というのは、結構なショックだった。

その時に、なんでも相手主導でただ付いていくだけの付き合い方ではウザがられるのだということを学んだ。
それと、友達は気の合う人を選んで付き合うものだと自分を納得させた。

今の私の、友達は気の合う人だけ、気の合う人がいないなら一人でいればいいというスタンスは、あの時受けたショックの反動かもしれないなあ、と少し思うのである。

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