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嫌味スルー力

「歩いても歩いても」という映画を観た。
お盆に実家に集った家族たち。
両親、(長男は故人)、長女とその夫、次男と最近結婚した妻とその連れ子。
次男の妻はとても義両親に気をつかっていて、家族で一泊するという。長女一家も日帰りするのに。
樹木希林演じる姑は一貫してずっと怖い。
ビールを勧められて飲んだ次男の妻に対して、後で「私が若い時は女はお酒なんて飲めなかったものだけど」という。
そういう嫌味が怖いという感想を他所で聞いた。

私が次男の妻の立場だったら、と想像したとき、たぶんそれを嫌味と受け取らずにスルーしただろうなと思う。
小学生の時嫌味を言う人がいたのだけど、「あれは嫌味だったな」と気づいたのは高校生くらいになってからだったので、嫌味に対して自分は相当鈍いらしい。
そして、嫌味に対して鈍いままでいると、嫌味を言われなくなる。通じないから無駄なのだ。

自分はいろんなことに過敏な方だし、ネガティブに陥りやすい性格だが、なんでだか嫌味については鈍感だ。
おそらく、嫌味に対してセンサーを働かせてもメリットがないからだと思う。嫌味を言われてそれに気づかずに放置しても、それが脅威になることはない。ストレートに言えないような人だから、嫌味という手段に出る。

それと、嫌味っぽい性格の人でも、全ての嫌味っぽい発言が100%嫌味であるということもない。
件の「私が若い時は女はお酒なんて飲めなかったものだけど」も、その時はたまたま事実を口にしただけだった可能性もある。

嫌味に気づいていいことはなにもない。

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