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ちびまる子ちゃんのお母さんが言いそうな言葉と詭弁

ふと詭弁について思いを馳せたのでそれについてのあれこれ、いわゆるどこのご家庭でも言われている発言とその詭弁性

本来であれば言葉のやり取りの上でその発言は〇〇の理由から間違えているなどの反論ができるが、親子という関係と子が10歳程度であると簡単にパワーゲームで負けてしまう状態になる。そこである程度の反論がきてそれを言い返して論破してしまうと親がパワーゲームに持ち込み手痛い攻撃を受けることが想定できる。

そこで想定された子供は(子供ながらにある程度そこらへんはわかっているので)言い合いから引くことで争いを避ける。それを親は「どうだ、この反論には勝てまい」と勝手に勘違いしてかなり幼い意見を頭の中でもつことになり、いつまでたってもその詭弁を使い続ける。よって「母親が言いそうな詭弁」は簡単に思いつく簡単で極端な意見で止まることになる。

・他の人はもっとしっかりしているんだからしっかりしなさい
→ほかの人が明確にだれか不明、仮に平均を取るなり特定の人を対象として比較をするならその人を意図的にしっかりしている人を想定している。これの発言者はそもそもしっかりしているのか?となら自分もしっかりしないといけないのでは?と。

・よそはよそ、うちはうち
他の他人との比較をすべて否定するなら一理はあるが比較をしない以上は以降の比較が不可能になる。またたまたま他の家と同じことをしたいだけだがそれに対しても他所の家との比較を不可とするなら自分の家でしていることが奇特で笑われるようなことでもするべきである。

・好き嫌いするな
この話が出る時は嫌いで残す時であるので、趣旨は「食べ残しするな」であって好き嫌いとは本質的なものとずれている。そして大抵の人間は嫌いな食べ物の一つやふたつあり、そもそも「ピーマンが苦くて食べられない」などのちゃんとした理由があるわけでそれに対して好き嫌いで片づけるのはどうかと思う。それを言うなら「盛り付けされる前に嫌いなものがあったら先に言え」「食べ残しするな」が正しいと思う。

・なんでお母さんのいう事がきけないの
これに対してまる子は「だってお母さん嘘つくときあるじゃん!」と見事は反論を出していた。「どんな意見でも親のいうことを聞け→嘘の可能性があるから全部は飲めない」なので実に真っ当な意見でこれに対して母親はこの件が嘘ではないことや、いままでの嘘の確率が低いことを説明しないといけないが子供がいうことを聞かないという話で終わってしまう。

・食べたくても食べられない人がいるの
他人とこちらは関係がないから比較として出すことが変。仮に食べたくても食べれない人でも嫌いなものは残すだろうし、腹いっぱいなら残すだろう。

・乾布摩擦をすると風邪をひかなくなる
ならなんで大人は乾布摩擦を日常的にしないかが不明、風邪にかかりたくてわざとしてない限りではない限りは日常的にするのが必須であり、他人にやらせようとしているのに自分らはやらないのはどうかと。

・ネギを食べると頭がよくなる
理屈がさっぱり不明で(まる子の)おじいちゃんが「わしはネギ大好きじゃ」といって大嘘だということを証明してしまったエピソードすらある。実際子供がネギを嫌いな理由はそもそも煮方が足りずに辛いからという事情がある。大人が食べられる程度の煮方でいいと思ってもそういうことになるので味覚の差になる。

・農家の人が一生懸命作ったんだから
一生懸命作ったのと無理に消費する因果関係が不明、日常的に消費しているものすべてが一生懸命作られたとしたらどんなものでも消費せざるを得ず、クソださい服だろうが一生懸命つくられたものだから他人から笑われようが擦り切れて使えなくなるまで着続けるのが正しくなる。

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