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花街、ジュリアナ、タワマン

この記事に「バブルの象徴」と書かれているジュリアナ東京、実は行ったことがない。バブル景気がすでに下り坂に向かっていた1991年に開店。そこのころは入社間もない駆け出し記者で、地方で事件や事故の取材に走り回っており、東京でのバブルの喧噪とは無縁だったからだ。開店から3年後の1994年、自分が東京勤務になる前に閉店してしてしまっていた。

足を運んだことがあれば気づいたのかもしれないが、昨日、まさにこの跡地の前を通った。週末の街歩きで自転車に乗って、東京・芝浦にある「港区立伝統文化交流館」という施設に行ってみたからだ。

かつては「見番」だった港区立伝統文化交流館

昭和11年、芸者の取り次ぎなどをする「見番」として、建てられた木造建築で、この芝浦の地が花街だったことを今に伝える貴重な歴史の証人だ。

古典落語の名作「芝浜」の舞台となった芝浦は、風光明媚な海岸があり、江戸前の魚介類が揚がることから、江戸時代から旅館や料理屋が集まる場所だった。明治後期以降、芸妓屋も置かれるようになり、花街として繁盛していた。二階の大広間は「百畳敷」と呼ばれ、芸妓たちの踊りのお稽古の場として使われていたようだ。今は、落語などのイベントに使われている。

芝浦一丁目会館には「芝浦」の紋が

戦後しばらくして、芝浦は東京港建設の労働者が集まる街となり、昭和30年代後半に花街が消滅すると、この建物は今度は「協働会館」という労働者の宿泊所として使われた。一帯は倉庫が建ち並ぶ物流拠点となった。物流の構造変化で港湾機能が不要になると、空き倉庫が目立つようになり、その活用策としてディスコ「ジュリアナ」が登場した。


昨日足を運んだ芝浦は、確かにタワマンの街になっていた。こざっぱりした新築マンションと、古い倉庫の建物のコントラストが奇妙だ。だが、記事が指摘する産業構造の変化は、もっと古い時代からのものだったのだ。

タワマンの谷間にこんな建物も


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