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このご時世に舞台観劇した日

2020年は舞台観劇ができる最後の年だと思っていた。
それぐらい来年からは自分の時間がないと思っていた。
しかし観劇ができず残り3か月で2020年が終わろうとしている。
そんな中、ついに観劇体験を9か月振りにしてきたので
この日を忘れないようにと、文字にしてみる。

(ちなむが、座席がC列というなんと舞台と近いことか・・・)

感染症対策については、おそらくどことも変わらず
・チケットはご自身でもぎってください
・半券の裏にお名前と電話番号を記入してください
・手指の消毒をしてください
・食事はご遠慮ください
・常にマスクをご着用ください
孤独感が増す。誰とも変なコミュニケーションとれない感覚。
それでも、行動は結構見られていて怖い感覚。妙。

座席は市松模様の配置で、座れない席には黒いシートがかぶせられる。
赤と黒のコントラストは本日の舞台本編とはずれている。
世界観に合う色にすれば没入感が増すと思うけどそこに経費は落とされぬ。

公演中は以下のことが可能だった。というよりしている人がいた。
・笑う
・頷く
・手を叩く
・手を振る
・最後に立つ
・最後に黄色い歓声をあげる
声は出せるらしい。場内にいた人のマスクが高性能であれば良い。

上演後は規制退場となった。
C列のため最後に退場可能となったが待機時間が長いとは思わなかった。
観客数が1000にも満たないからであろうか。妙。

オンライン○○たるものに参加した先月と比較した感情の変化について。
唯一にして最大の違いは「作品」か「体験」かであると感じた。
対面になれば(もしくはC列であれば?)無意識にでも
コミュニケーションをとった気持ちになる。
「目が合いましたね」「席の近くに来ましたね」「目の前で座りましたね」
その行動がカメラを通さないというだけで当事者意識は軽く5倍。
Physical Presenceの力に驚いた。体験している。何かを。
比べてオンラインであれば自分自身がカメラマンにはなれない。
あくまで作品を見ているに過ぎない。体験まで到達しない。

さて、オンライン○○の提供側は「作品」だと認識して提供しているのか?
ここにオンライン○○が時々「・・・」になる原因が出てくると思う。
オンライン○○こそ作品として魂を入れてくれたら払うのになぁ。
どうか作品を作り上げてください。業界内の方々。
甘えが見えるコンテンツは不要です。
明らかに他国のオンラインコンテンツの方が作りこまれているよ。
生だろうがそうじゃなかろうが。さて、日本はどうする。
これから業界的にどうなるか、見物だと思う。

来年にはどんな観劇体験をするのだろうか。
「昨年はこんなことしてましたね」と言うのだろうか。
「昨年からそこまで変わりませんね」と言うのだろうか。
いつかこの観劇体験が稀有だったと形容する日が来るのだろうか。
そもそもどこまで舞台や対面にこだわる人間がいるのだろうか。

カーテンコールで聞いた「エンタメを欲する」という言葉が
どこまで本当になるのだろうか。

9か月ぶりに舞い上がるような脳の信号と
次を見据えて満面の笑みが浮かべられない脳の信号が混ざる。
ただ、忘れたくないと思う日だった。



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