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礼拝の再建【エズラ記3章】【やさしい聖書のお話】

礼拝はエルサレムで

先週はエズラ記1章から、ペルシア王キュロス2世がユダヤ人に「エルサレムへ帰って、神ヤハウェの神殿を建てろ」と命令が出されたというお話でした。
2章で実際にユダヤ人4万2千人以上がエルサレムに帰ってきます。彼らは神殿があった場所に着くと、神殿を建て直すためにささげものを差し出し、それから(バビロンに連れていかれる前に住んでいた)自分たちの町に住みました。

そして3章は「第七の月になって」で始まります。ユダヤのカレンダーでは第七の月が正月です。人々は自分たちの町からエルサレムに集まりました。
主の律法に定められている新年礼拝をささげたのでしょう。

第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。

レビ記23:24(新共同訳)
イスラエルの角笛(ショーファー)
(のぶおリーダーの私物。音色は 動画版 の0:44あたりからどうぞ)

まだ神殿はありません。バビロンに破壊されたままです。建て直すのはこれからです。
でもまず、主が定めた律法のとおりに礼拝を再開することからです。
4万人というのは、ひとつの国をやり直すには少なすぎる人数かもしれない。でも、70年前の捕囚より前には、神殿を中心とした礼拝、神である主を中心とした日常がありました。あのすべてを取り戻そうという気持ちで、4万人はこの礼拝で心を一つにしただろうと思います。

実は彼らの周囲には、敵対する人たちがいました。70年前にユダ王国が滅びた後に住み着いた人たちにしたら、ペルシア帝国の王様の命令があるとはいえ今さらユダヤ人が帰ってきやがったという思いでしょう。ユダヤ人たちは周囲の住民を恐れていたと書いてあります。でもだからこそ、まずは主を礼拝し、主が私たちの神、私たちは主の民という関係を取り戻さないといけない。

神殿がエルサレムではない

教会というのは建物のことではない、イエス様を信じる人たちのことを教会というんだ、というふうに言われます。
神殿はまだありません。でもここはエルサレムです。エルサレムというのは、全世界の中から主が「ここにわたしの名前を置く」と言って選んだ場所です。エルサレムは、神殿があるから聖地なのではなく、主がそこを選んだから聖地なんです。

現在のエルサレムは、紀元70年にローマ軍によって神殿が破壊されたままです。「嘆きの壁」など城壁が少し残っているだけです。
そしてイエス様が「ユダヤ人が主を礼拝したエルサレムでも、サマリア人が主を礼拝したゲリジム山でもないところで父を礼拝する時が来る。今がその時だ」(ヨハネ4:23)と言ったとおり、今ぼくたちはエルサレムから遠く離れた日本の千葉県の市原市から父を礼拝しています。

でもそれは、エルサレムが特別でなくなったという意味ではありません。

エルサレムは今も主が選んだ聖地であり、ユダヤ人たちはここで主に祈り願います。
神殿の境内には「異邦人の庭」という、ここまでは異邦人も入っていいですよというエリアがあって、イエス様や使徒たちの時代もギリシアやエチオピアなど世界中から人々が礼拝に来ていました。
現代でも世界中から人々が「嘆きの壁」を訪れています。

「嘆きの壁」でのトランプ米国大統領(当時)
「嘆きの壁」での小泉首相(当時)
‘true friend of Israel’(イスラエルの真の友)安倍元首相暗殺を悼むイスラエルの報道。
写真は首相だった当時に嘆きの壁を訪れた際のもの。
TIMES OF ISRAEL より

この世の終わりには新しいエルサレムが天からくだってくると預言されていますが、その時まではこの地上のエルサレムが、神である主がご自身の名前を置かれた場所、聖なる都、主の神殿なのです。

神殿の基礎工事

第七の月の一日に主の礼拝を始めた人々は、翌年の第二の月から工事に取り掛かったと書かれています。ソロモン王が最初に神殿を建てた時も、第二の月に工事を始めたので(列王記上12:1)、それにあわせるべきだと考えたのでしょう。
第二の月というのはぼくたちのカレンダーでは4月から5月にあたり、イスラエルでは11月から5月の雨季が終わって、雨がない乾季に入ります。建設中、特に基礎工事のときは雨がないほうがいいでしょう。第七の月から第二の月まで、雨季の終わりを待ちながら建築の材料などの準備を進めていたのでしょう。

礼拝は「イスラエル12部族」として

神殿の基礎工事が終わると、祭司たちが祭服を身につけ、ラッパを持ち、そして聖歌隊も立ち上がって、主を賛美しました。民もそれに答えて「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と歌います。

建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を賛美した。

エズラ記1:10(新共同訳)

祭司が祭服を身につけた、という記録は注目です。

古代のイスラエルは、12部族の連合体でした。それがソロモン王の崩御後に、北の10部族の「イスラエル王国」と、南の2部族の「ユダ王国」に分裂してしまった。ただ「12部族」とは別枠として、レビ族は北にも南にも住んでいました。
で、「ユダヤ人」というのは、ユダ王国の末裔のことなのです。つまり、イスラエル12部族のうちユダ族とベニヤミン族、そして南王国に住んでいたレビ人だけ。
ペルシアからエルサレムに帰ってきた人々というのは、このユダヤ人=ユダ族とベニヤミン族とレビ族なんです。

でもレビ族の祭司たちが祭服を着たと書かれています。
そして大祭司の祭服には、「裁きの胸当て」が含まれています。次図で、カラフルな前掛けのよう「エフォド」の上に着ている、胸のところの3×4=12個の宝石が並べられているのが「裁きの胸当て」です。12個の宝石はイスラエルの12部族を表しています。
さらに、「裁きの胸当て」を肩からぶ下げているパーツがありますが、左右それぞれラピス・ラズリがはめこまれ、それぞれに6部族ずつの名前が彫られています。

大祭司の祭服。朴潤植『神の救済史的経綸から見る幕屋と契約の箱』より。
白い亜麻布の長い服(出エジプト記28:39)、青一色の上着(同28:31)、カラフルなデザインのエフォド(同28:6)の上に、イスラエル12部族を表す12の宝石をあしらった胸当て(同28:15-21)を着ている。胸当てをぶらさげている肩の部分には、左右に6部族ずつ名前が彫られる(同28:9-12)

北のイスラエル王国と南のユダ王国の関係は、良好とは言いがたいものでした。北王国が出ていくかたちで分裂したことや、ユダ王国がバビロンに滅ぼされるより早い時期にイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされたことなどから、聖書に入っている歴史書でもユダ王国が正統という視点で書かれているようにも感じます。
何より、主が「王権はユダ族から離れない」と告げています。そして王であり救い主であるメシア(キリスト)イエス様も、ユダ族のダビデ家の末裔として、ユダヤ人として世に来られます。
それでも、ここで祭司たちは祭服を着て主の前に立ちました。ユダヤ人(ユダ族とベニヤミン族)だけでなく全イスラエル12部族を代表して、祭司であるレビ人が主の前に立ったということです。

神殿は未完成だけど

主の神殿はまだ建物の基礎ができただけ。
それでも人々は大きな叫び声をあげて主を賛美しました。昔の神殿を見たことのある老人たちは大声をあげて泣きました。エルサレムは賛美の祈り、賛美の歌、賛美の叫びに包まれました。

主は神殿の至聖所に置かれた契約の箱のところで民に会うと約束しました。
そして主は、聖所にいてイスラエルの賛美を受ける方なのです。

だがあなたは、聖所にいまし
イスラエルの賛美を受ける方。

詩編22:4(新共同訳)

けれどもあなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

詩編22:3(新改訳第2版)

イエス様がいったとおり、ぼくたちはエルサレムではないところ、日本に建てられたこの教会から、主に賛美をささげています。ぼくたちにはとても立派な礼拝堂が与えられています。そのことをぼくたちは喜んでいるでしょうか。この建物があることを当たり前に思っていないでしょうか。
未完成でもまずは基礎工事が終わったというだけであれほど喜んだイスラエル(ユダヤ人)のような喜びが、ぼくたちにあるでしょうか。

さて、先週は1章から神殿再建の命令が出たこと、今週は礼拝が再建されたことを読みました。
来週は、完成した神殿を主にささげる場面になります。 

《動画版》

このnoteの内容は、2022年10月9日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。

動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。
また、このnoteの内容は完全に個人のものです。


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