日記:時は流れる

昨日は『四畳半タイムマシンブルース』と『私に天使が舞い降りた!プレシャス・フレンズ』と『夏へのトンネル、さよならの出口』を観てきました。以下ネタバレ注意。

1日に劇場作品を3回観たのははじめてかもしれない。


四畳半タイムマシンブルース

2005年に刊行された森見登美彦さんの『四畳半神話大系』という小説があって、2010年にはアニメ化された。その際にシリーズ構成や脚本を担当したのが、ヨーロッパ企画という劇団を主宰する上田誠さんであった。そのヨーロッパ企画の代表的な代表的な演劇の1つに『サマータイムマシン・ブルース』という作品があって、実写映画化などもされている。そしてこれら『四畳半神話大系』と『サマータイムマシン・ブルース』がコラボレーションした作品が『四畳半タイムマシンブルース』であり、森見登美彦さんによる小説が2020年に刊行されていて、今回の映画はそのアニメ化作品とのことである。なんだかややこしいな。

『四畳半神話大系』では並行世界の要素が盛り込まれていたが、この作品はタイトルにもあるようにタイムマシンによる時間移動が大きなテーマとなっている。序盤に散りばめられていた謎が、現在と過去を行き来にするにつれて次第に明らかとなっていく様子が非常にコミカルに描かれておりとても心地よい。そして主人公と明石さんとの関係性の距離感のもどかしさに大学時代の青春を感じることができる。ああいう青春、本当にあるのだろうか。自分はまったく経験したことないのでわかりませんが。『四畳半神話体系』のアニメを見たときにも青春のことを考えていた気がする。でも大半の人はそういう物語みたいな青春の経験は無いらしいので強く生きていこう。


私に天使が舞い降りた!プレシャス・フレンズ

2016年からコミック百合姫で連載がはじまり、現在も連載中の椋木ななつさんによる漫画で、2019年にアニメが放送された作品の劇場版。大学生の星野みやこが、小学生の白咲花と出会い、その天使のような存在に惹かれていく。ジャンルをざっくり分けると「日常系」で「百合」、もっと細かく言うと年齢差があるので「おねロリ」。

ストーリーとしては、花の祖母の家にみやこと花の友人を含めた計6人で旅行に出かける様子を描いたものとなっている。みやこは花たちとの年齢差を気にするのだが、花や周囲の人間はそれをまったく気にしていないように描かれているのがとてもよかった。みやこや妹のひなたの母である千鶴は、旅行についていくみやこを心配するのだが、それは「ちゃんと面倒を見れるのか」という年長者としての役割を期待しているものではなく、いつもは家にいることが多く外出を苦手としているみやこの身を案じてのことだった。また、みやこは花の祖母に年齢差による距離感への不安を話すのだが、花の祖母もまた小さな頃に仲の良かった年上の女性がいて、「歳の差なんて気にしなくていい」と諭していた。余談だがこういう昔の関係性(花の祖母と年上の女性)が回想されるシーンがめちゃくちゃ好き。ちなみにこの年上の女性は映画に登場し、現在でも花の祖母との交流が続いている。

印象的だったのが、夏祭りで髪飾りを失くしてしまった花に対して、みやこがその手を引いて一緒に探すシーン。手を引かれる花は、みやこの後をついていく。そのシーンの背景に映る屋台に、花がみやこと過ごしてきた日常の情景が映し出されていくのである。普段はコスプレ衣装を着せてくるみやこに対して、いささか険を含んだ態度を向ける花なのだが、祖母との思い出の髪飾りを失くしてしまった自分の手を引いてくれるみやこの背中を見ながら、みやことの思い出ばかりが頭を過ぎていく。落とし物の不安を拭い去ってくれたのは、いつもはどこか頼りないみやこの存在であり、彼女との思い出だったのである。そんな2人の関係性、そして花の感情の動きが、言葉を使わずに演出のみで語られていて、非常に美しく素晴らしいシーンだった。


夏へのトンネル、さよならの出口

2019年に刊行された八目迷さんによる小説の劇場アニメ化作品。そこに入ると何でも手に入るが、代わりに歳をとってしまうという噂の「ウラシマトンネル」を中心に物語が展開されていく。劇場で流れていた予告だと、「何様のつもり?」とか「お前、最近あの子と仲良いよな」とかそういう台詞があって、クラス内での不和が膨らんでいきそうな印象があったのだが実際は速攻で片付いていた。というか予告編は後半の展開を予想させないように意図的に情報が伏せられていた感覚がある。

主人公である塔野カオルの視点で物語は進んでいくのだが、その視点のスイッチが非常に鮮やかだった。最初はカオル視点なので、転校生の花城あんずの苛烈なキャラクター性に目が向くのだけれど、次第にカオルの「願いを叶えるためなら他のすべてを捨てられる」という精神性が際立ってくる。そしてカオルがあんずとの約束を破り、1人でウラシマトンネルへと入ってしまった場面で、視点はあんずへと切り替わる。

ウラシマトンネルは時の流れが世界と隔絶しているため、トンネルでの数秒が現実世界では何時間にもなる。そしてカオルは願いを叶えるために、たとえ現実でどれだけの時間が流れようとトンネルから出てこないと決意し、あんずの前から姿を消した。

あんずの時間は流れていった。漫画を描き続け、何度か連載も経験する。その間も、カオルとのメールのやりとりを残した携帯電話を机に置いては何度も手にとっていたし、自分の環境が変わるたびにメールを送っていた。カオルとはじめて会ったときに借りたままのビニール傘も、ずっと玄関の傘立てに置いていた。

自分はここで『秒速5センチメートル』を思い出していた。時が流れても幼馴染である明里に対しての想いを捨てられずにいる貴樹。時が流れても心はあの頃に置き去りになってしまっている。思い出はあの頃のままなのに、自分は変わっていしまう。時間だけがただ流れていって、もうあの頃は戻ってこないという喪失感が胸を苛む。返ってこないメールの向こうの相手をずっと思い続けている。もしその相手を一目でも見ることができたら、そしてその相手が願いを叶えて幸せになっているのなら、思い出を清算して前を向くことができたのかもしれない。でもそれも確かめようがない。声の届かない相手への想いは、どうすればいいのだろうか。あんずはそういうやりきれなさとずっと戦いながら、それでもカオルとの思い出を力に変えて進んできたのかもしれない。

この映画は、青春の煌めきや願うことへの重さを描きながら、時間の流れに違いをもたらす「ウラシマトンネル」という存在によって、離れた2つの時間を同時に表現したことで、青春の時限性を巧みに表現していると感じた。時間が大きく流れる作品が好きだ。そこに人生を感じるから。

映像もとても綺麗で、細かいところにもこだわりを感じられた。例えばガラケーの表現で、画面やボタンを1つずつ押して文字を打ち込む様子、専用のコネクタなど、「そういえばこんな感じだったな」と細かい記憶が蘇ってくるような、こまかい描写だった。もう夏も終わってしまったのかもしれないけれど、しかし経験しなかった青春の夏の思い出に心を灼かれるような、素晴らしい映画だった。

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