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アニメ「青春ブタ野郎」と「涼宮ハルヒの憂鬱」を比較してみた。

アニメ「青春ブタ野郎シリーズ」が面白い。

ざっくりと内容を説明すると、青春ブタ野郎の世界では思春期症候群なるものがあり、本人の意図しないところで不可思議なことが起こる。

アニメ映画版の時をかける少女ではタイムリープ能力を身につけた主人公に叔母さんが「思春期にはよくあることよ」などと言っていたが、そういう類の不可思議さ。

ただ、自分の都合のいいようにつかえるタイムリープみたいな便利なものではなく、どちらかというと呪いのたぐいに近い。

軽いネタバレにはなるけれど
とあるヒロインは自分が他人から認識されなくなったり、
とあるヒロインは同じ一日をくりかえすことになったり、
とあるヒロインは別の人と心と体が入れ替わったり
とあるヒロインは自分のドッペルゲンガーが出現したりします。

さて、この作品、涼宮ハルヒの憂鬱に似ていると感じます。

https://www.kyotoanimation.co.jp/works/haruhiM02/


ブタ野郎の二番目のエピソード、ループ現象なんかはハルヒのエンドレスエイトを彷彿させてくれるし、ブタ野郎の主人公のサクタくんの斜に構えた感じは涼宮ハルヒの憂鬱のキョンにそっくりだ。ついでにいうと、どちらも妹がいるし、猫を飼っている。

異能力をつかって派手に立ち回る物語……なわけではなく、異能力がむしろデメリットとして発現し、その問題を解消、解決し、元の日常をとりもどすという点は両作品とも同じだ。

ただ、解決へのアプローチが大きく違う。

涼宮ハルヒの憂鬱では、最終的な原因をとりのぞくのは主人公のキョンであるものの、魔術師ばりになんでもできる長門や、未来人のみくるちゃんがトラブル解決の過程をサポートしてくれる。(宇宙規模での異常が起きているからしかたないともいえるけど)

たいして、ブタ野郎で起きるトラブルはもっとミニマルで個人的なものだ。仮に解決できなくても、困るのは当のヒロインやその友達や家族くらいで、それ以外の世界は問題なく続いていくのだろう。

ブタ野郎にはSОS団なる常識外れのグループはなく、主人公をふくめ、等身大の学生ばかり(恋人の麻衣さんは有名タレントではあるが、それでも些細なことで一喜一憂している)

長門的とまではいえないが、リケ女の双葉さんが思春期症候群の仮説を立ててくれるが、基本的には自力で頑張らないといけない。主人公の立ち回りは時にはスマートで時にはがむしゃらである。

悩みを聞いたり、寄り添ったり、走ったり、ときには泣き叫んだり、
ブタ野郎かどうかはさておき、立派に青春野郎をしていて、アラフィフのおっさんをもグッとこさせるくらいだ(こんな青春を俺もおくりたかった)

両作品を比較してみたけど、どちらの作品のほうがいいとは言いません。自分的にはどちらも好きだ。
ブタ野郎はハルヒからの影響を隠してもいないスタンスなので、パクリうんぬんは言いません。(ハルヒ以外にも化物語に似ているらしい)

とんでもない非現実的なシーンがあり、アニメ映えするのがハルヒだとしたら、どこまでも現実的なビジュアルが続き実写ドラマ化にも向いてそうなのがブタ野郎だと思う。

それにしても、もっと話題になっていいと思うものの、一般的な知名度はいまいちな気がする。いま劇場版もやっているのにね。

ちょっとタイトルで損をしているのではないだろうか?
なんか長すぎる気がする。涼宮ハルヒシリーズも、憂鬱、溜息、消失などタイトルが変わるタイプなんだけど、青春ブタ野郎のあとが長いよね。バニーガール先輩の夢を見ない。プチデビル後輩の夢を見ない。

そのうちアニメ二期も作ってくれないかな。楽しみにしています。


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