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母の日に思うこと

今日は、母の日。
外出自粛でありながら、何かお祝いがしたいとシフォンケーキを焼いた。
とても喜んでくれた。

母が、『ずっと飾ってたけど、使ってみようかな?』とある物を持って来た。
見覚えのあるラッピング包装。
何年も前の母の日に、私が選んでプレゼントした入浴剤やスポンジにバスソルト等が入ったバスグッズ。
「まだ使ってなかったの?またプレゼントするのだから、使って良いのに…」と私が言うと
『大好きなサクが選んでくれたプレゼントだもん。嬉しくてもったいなくて使えないよ。』と母は言う。

そう言えば、母はいつもそうだったと思い出す。

看護学生の時に贈ったストール。
高校生の時に贈ったカバン。
中学生の時に贈ったハンカチ。
小学生の時に贈ったメッセージカード。
幼稚園の時に贈った肩たたき券やイラスト。
母は全てラッピングや袋も含めて保管してくれていた。

「何か欲しいものある?」と尋ねると必ず
『サクとお兄ちゃんが元気でいてくれれば、お母さんは何も要らないよ。』
『2人がお母さんの元に生まれてきてくれた事が1番のプレゼントなんだから。』と必ず答える。

母は、私から見てもお人好し。
そして、欲と言うものがない。
あるとするなら『みんながニコニコ笑顔でいられますように』という人の幸せを願うこと。
我が母ながら、博愛精神ってこう言う人のことを言うのかなって思う。

それが私にも、少しは引き継がれたのかな?
私も母ほどではないが欲がない。
自分が誰かを笑顔にすることが出来たら、それはどんなに幸せなことだろうと思うことがある。

看護学生だった時に、担当した手術直後の患者さんにこんな事を伝えたことがある。
「○○さんの手術が上手くいって、私も嬉しいです。」
当時の引率の看護教員·実習指導者に絶賛された。
自分は何の気なしに、自然と出た言葉。
患者さんの笑顔がみれて嬉しいと思ったから。
でも、それって“自然と出る言葉ではないんだよ?”と言われて初めて気がついたくらい自然な事だった。

私が、看護師を今でも続けたいと思えるのは
「沢山の笑顔が見れたら、どんなに幸せで嬉しいことだろう」
母の遺伝子を、強く引き継いでいるからではないだろうか。
母の日の何気ないやり取りで、そんな事を思い出した。

胸を張って言える。
私は、「母が大好き」だ。

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