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26歳で精神科に転職、苦悩の日々が私の看護師人生を変えた

生涯働ける資格を取得したいと考え、20歳で准看護師免許を取得、総合病院へ就職します。当時は准看でもスキルの高い看護師を目指そうと意気込み、進学はしませんでした。その強気な想いはいつしか、傲慢で自信過剰になっていきます。

しかし、待ち受けていたのは資格による大きな壁。そして耐え難い現実を受け入れられませんでした。当時26歳だった私は、一念発起して進学を決意するとともに、精神科に転職します。この精神科での経験が、私の看護人生は変えました。
26歳の転職、ここが私のターニングポイントです。

准看5年目に感じた焦り

私が最初に配属されたのは、外科・整形の混合病棟でした。その後、内科や脳外科を経験しています。ところが持ち前の負けん気が功を奏して先輩に認められるにつれ、私は傲慢で自信過剰な看護師になっていきます。

そして私が仕事をはじめて5年が経ったころ、正看護師の後輩が増えはじめました。資格の差は気にしないフリをしながらも、徐々に焦りを感じるようになります。なぜなら准看護師ではリーダーもできず、主任や師長になれないからです。

私が指導してきた後輩は、いずれ私の上司になる。それは当時の私にとって、耐えられない現実でした。

進学を決意!26歳で精神へ転職

准看で働くことに限界を感じた私は、26歳で進学を決意します。しかし、学業と仕事の両立に自信がありません。そこで、精神科に転職しました。

当時から、精神科に興味があったわけではありません。ただ精神科の看護業務は、医療行為がほとんどないと思い込み「一般科に比べて仕事が楽なのでは」と考えての決断です。「学校を卒業後はすぐに前の職場に復帰すればいい」と自分に言い聞かせていました。

患者さんからスルーされる日々

精神科で働く看護師は、大半が40代以上の年齢層でした。中には定年を過ぎた70代の看護師もいます。20代の看護師も数名いるものの、一般科から転職してくる看護師は珍しく、スタッフからは歓迎されました。

毎日慌ただしく仕事をしていた日々がうそのように、時間はゆっくり流れます。これといった処置もなく、何をすればいいのかわかりません。

精神科の業務は、患者さんとの関わりがメインです。しかし私は、奇声やおたけびをあげている患者さんが怖くてしかたありませんでした。恐る恐る声をかけてみるものの、私の姿が見えていないかのように、スルーされます。

それは、ひとりの患者さんだけではありません。中には挨拶をしてくれる患者さんもいましたが、こちらから声をかけるとスルーです。自分のスキルに自信をもっていた私は、患者さんの態度にどうすればいいのかわからなくなっていました。

ちっぽけなプライドが消えた師長のひと言

当時は精神科と一般科の看護師を比較し、精神科で働く看護師を知らないうちに甘く見ていたのかもしれません。学校では、精神科で働いていることがバレないようにと、職場の話題を無意識に避けていたことを覚えています。

入職半年が過ぎても、患者さんとの関係は変わりません。しかし自分から患者さんへの関わりを変えることができませんでした。今思えば、私はデキる看護師だというプライドがあったのでしょう。

精神科に勤めて1年が経ったころ、師長と面談する機会がありました。その時の師長から「あなたはいつまで経っても看護師さんね」と言われた言葉に、衝撃を受けます。

とはいえ、師長の言っている意味を完全に理解できたわけではありません。しかし、卒業するまでのつなぎで働いている、という気持ち見透かされているようでした。

准看護師として働いてきた6年間、治療が終われば退院して別の患者さんが入院してくるというサイクルの中で、患者さんよりも業務の効率化を優先してきました。ミスなく業務をこなすことが、私の自慢だったのです。

今思い返せば、看護師というプライドなど患者さんには必要ないと、教えようとしてくれたのかもしれません。あの時師長が言ったひと言は、30年経った今でも、初心に返る教訓になっています。

精神科患者さんとの関わりで芽生えた感情の変化

精神科の患者さんと信頼関係をむすぶのは、簡単ではありません。とくに慢性期の患者さんとは、看護師と患者という関係は成り立ちませんでした。こちらの意図をすべて見透かすような、研ぎ澄まされた感性に、身の危険を感じたこともあります。

しかし入職時にはスルーされ続けた患者さんとの関係も、2年目が過ぎた頃から、少しずつ変化していきました。出勤するたび「今日日勤?」と、患者さんが声をかけてくれるようになり、ふさぎ込んだ日には、患者さんとの会話で気分が晴れたこともあったほどです。

慢性期の患者さんは、むき出しの感情をぶつけてきます。本音とたてまえの使い分けもなく「嫌なものは嫌、欲しいものは欲しい」と、ストレートな意思表示の患者さんを、社会生活に息苦しさを感じていた私はうらやましいとさえ感じていました。

とはいえ精神科に入職して3年目、患者さんの病状の変化に対応しきれず、精神科看護の難しさと自分の無力さを痛感するようになります。

精神科では、患者さんの精神状態が豹変するケースは少なくありません。しかし病状が悪化する前には、必ずサインがありました。そのサインはまるで「お願い、気づいて」とこちらに訴えているかのようでした。

「患者さんが出しているサインを見過ごしたくない」と、自ら積極的に関わりをもつようになり、患者さんとへの関わり方を試行錯誤する日々が続きます。これほど思考が変わるとは、入職当時の私は想像もしませんでした。

思い返せば、それまでに働いた内科や外科では、患者さんと関わる時間はほとんどありませんでした。秒単位で動かなければ業務が回らない状況で働く日々の中、病棟での出来事もほとんど忘れてしまっています。

「このまま精神科から一般科に戻れば、また日々の業務に追われる日々になる」という思いが強くなるにつれ、もう少し精神科看護を追及したいとも考えるようになっていきました。そして学校の卒業を控えた年の12月、卒業後も精神科で働く決断をします。

精神科で得たスキルは私の人生を変えた

精神科では、閉鎖・急性期・開放と、病棟によって患者さんの病状が変わり、マニュアル通りに対応してもうまくいきません。何度も悩み、時には患者さんとぶつかったこともあります。

ただわたしの周囲には、精神科看護の手本となるスタッフが、たくさんいました。それは、看護師に限ったわけではありません。20代の血気盛んな年代には、母親と同年代の看護助手さんから指摘を受けたものです。

「患者さんへの対応がとても上手」と感じた人の対応をまねていくうちに、自分なりのスタイルを確立していきました。今では相手の表情や言葉そして行動から心理状態がつかめるようになり、対話スキルに自信をもてるまでになっています。

精神科に入職してから15年後、私は一般科に転職します。しかし10年以上のブランクは、想像よりも大変でした。ただあきらかに、20代のころとは違った視点で、患者さんと向き合えています。あの時精神科で教わった相手の感情を読み取るスキルは、私の財産です。26歳でのターニングポイントは、私の看護人生に大きな影響を与えてくれました。

~この記事を書いたのは~

名称未設定のアートワーク

村本加奈子
20歳の頃准看護師として総合病院に入職。外科・整形・脳外科・内科を経験。26歳のときに精神科への転職と、看護師資格を目指し進学する。その後、15年の精神科経験を経て、41歳で一般科へ転職。現在は、精神科訪問看護師として従事。今後は、看護師経験を活かし、ライティングやインタビューに挑戦したい。

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