杉下茂のフォークは速かったのか

1,変化球の概念と生まれた疑問

 夕食を購入したスーパーの帰りがけ、ふと思った。

 昨今いろんな投手が新しい変化球を生んだと言っては消えている。スライダーがどうだのカーブがどうだの。変化球の細分化には枚挙に暇がない。

 私としてはこの流れが非常に苦手である。というのも、変化球の開発は150年という野球史の中でほぼ出尽くされているであろうと考えているからだ。

 キャンディ・カミングスがカーブを編み出してから100年。トレーニングや装備の進化はあれど人間の指は5本で基本的には親指が短い代わりに太く、中指が長く、薬指は一番力が伝わりにくいのは変わっていない。

 新しい革袋に新しいワイン、というわけにもいかない人間の構造図は五本指という古いワインに「新しい変化球」という新しい革袋の入れ替えによって現在まで進んできたものと考えている。

 トレーニングと戦略戦術、環境変化の中で最適解になりうる変化球が変わってきただけというだけであり、現在投げられている「新変化球」というそれは、過去誰かが投げてきており、それを総称した既存の変化球名に収まっていただけと考えている。今では縦のスライダーと呼ばれるそれも昔はドロップなどのカーブ系に属していた変化球であろうし、逆にパームボールなどはチェンジアップ系の変化球に集約しつつある。

 だからこそ疑問が浮かんだのである。

 杉下茂のフォークは速かったのか、と。

2、現在のフォークの考え方と杉下氏の証言

 日本で最初にフォークボールを投げたのは誰か。という疑問について名前を挙げることが出来ない野球ファンは少ないだろう。現在も中日の臨時コーチを務める杉下茂氏である。旧制帝京時代の恩師天地俊一からフォークの握り方を教わってそこからフォークボールを生み出した、という逸話が残る。

 我々は現在多くのフォーク、スプリットと言われるボールを見慣れている事からフォークボールはストレートと同じ軌道を描き、現在で言うピッチトンネル辺りからボールが落ちていく変化球、というイメージを持ち、また、その傾向から速球派の投手が持つ、ファストボール系列の変化球というイメージを持っているはずである。

 近年の速球高速化の時代以前からフォークボールはカーブやチェンジアップ系のようなブレーキングボール系ではない、むしろスライダーやカットボールのような変化球、という概念があるはずだ。

 だから杉下茂のフォークも自然とファストボール系の、ある位置でストンと落ちる変化球であった、と誰もが想像するだろう。フォークボールというのはそういうものだ、と。

 ところが杉下氏のフォークボールに対するコメントなどを見ているとどうにも疑問が残る。本当のフォークは左右に揺れてすとんと落ちる」という。また、同じように「ストレートが基本」とあまりフォークを投げる事を是としないところが見受けられる。

 勿論、時代だけでみてしまうとまだまだ速球をバリバリ投げる本格派の時代であったし、ストレートに磨きをかけることは投手の生命線だったというのは間違いないとしても、フォークを自分の宝と言い切らないところは杉下氏の奥ゆかしさがあるとしても少し異常すぎるところを感じる。杉下氏のストレートへのこだわりを否定する気は毛頭ないものの。

 だとすると杉下氏にとってフォークは自身の必殺技であっても、自分を象徴しうるものとして扱われるのは本意ではないのではないか、とも思えるのである。

 そして変化球の記述で気になるところがある。

左右に揺れて」というところである。

3,現在のフォークと杉下のフォーク

 実際、現在の野球選手でフォークやスプリット、という変化球のイメージを話してくれ、と言って「落ちる」は古今共通することはあっても「左右に揺れる」というイメージを持つ人は少ないであろう。

 それもそのはずである。変化球が左右に揺れるには条件があるからである。

 こんな辺鄙な記事を読まれている方はナックルボールがどういう原理で揺れて落ちるかを知っているはずである。ボールに回転を与えず、重力の影響を受け、浮き上がる力、いわゆるマグヌス力の影響を無回転ゆえに影響されないから不規則に揺れて落ちるのである。

 つまり杉下のフォークは左右に揺れる土台がなければ彼の証言が成立しないのである。

 また、野茂や佐々木といった90年代フォークを武器にした投手はフォークを投げる際、あえて回転を加えていた、という話は有名だ。あえて回転を書けることによりストレートに似せて相手のバットを振らせる、という投げ方は現在のフォーク観に近い。阪神→オリックスの野田などはあえて回転を賭ける事でフォークを何種類も使い分けている。

 つまり回転をかけて疑似ストレートに見せる、という戦法は90年代にはすでに開発されており、そのフォークの在り方と杉下のフォークの在り方は合致しないのである。

 もし杉下氏のフォークが現在のフォークボール観に照らしあわされたものであったとするならば、回転がかかってハーフストレート気味でなければならない。ストレートに似せた落ちるボール。それが杉下フォークでなければならない。

 だが、我々はこの2010年からの十年弱で、これに当たらないフォークを知っている野球ファンも多いはずだ。奇しくも杉下氏が所属した同じ中日ドラゴンズに。

 岩田慎二という投手がいた。

 岩田慎二の無回転フォーク

 彼のフォークを覚えている方はいるだろうか。無回転でどこに行くかわからない、山内投手からマジカルフォークと名付けられたその変化球。

 これは杉下茂のフォークの証言と合致するのだ。

 左右に揺れ、変化量が大きく、捕手が体で受け止めないと取れない。投げ方もストレートに近いためナックルよりも速い、二本指で挟むフォークボール。岩田投手が130中盤から後半の速球を投げている中で120前半から中盤と、スプリットよりも遅めのフォーク。

 杉下氏のフォークボールとはまさにこれではなかったのであろうか。

 もっとも、杉下氏は自信の武器をフォークというよりもストレート、と言わしめていたところから、彼のフォークは岩田投手よりも速かった可能性は十分にある。

 しかし、投手杉下茂のフォークは決してハーフストレートに近い、ファストボール系の変化球ではなかったはずだ。現在のフォーク観で見てしまえばむしろ遅めの、パワーカーブ系列のようなブレーキングボール系でも速い印象を受ける、言ってしまえばミドルスピードの揺れて落ちる変化球。

 それが杉下茂のフォークなのではなかろうか。

 こうなってくると杉下茂の投手観ともあってくる。ストレートとコントロールを重視し、ミドルスピードの、ブレーキングボール的な扱いになるフォークは見せ球であり、いざという時以外投げない最終兵器。

 本格派志向の強かった1950年代ではミドルスピードのフォークをバンバン投げるのは晩年の阪神若林投手のような投球術魅せるベテラン、口を悪くして言ってしまえば小手先の技術でなんとかする年より臭いピッチングと揶揄されかねないからこそ、彼の代名詞でありながら、頼るのを是としなかったし、今の指導でも頼ることを是としていないのではなかろうか。

 速球とコントロールでしっかり相手打者をねじ伏せる。そこにフォークのような変化球は邪道とは言わないにせよ、決して褒められたものではない。という考えが杉下氏にあったのではなかろうか。

 だからこそ、杉下氏は自身のフォークの効果を絶賛してもそれをバンバン投げることについてあまり良く言わないし、我々も「昔(の投手の発想)だから」の一言で片づけてしまっているのではなかろうか。

 ここまで来ると想像の域になってしまうが、少なくともいえるのは、杉下氏の投げるフォークは現在のようなファストボール系の変化球ではなかった。むしろ無回転でミドルスピードのまま揺れて落ちる、杉下氏自身が生んだ、まったく独特のフォークであったという事は出来るのだ。

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