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渡辺泰輔氏の死を偲んで

あまり有名人の死に関しては触れないようにしたりしているのだが、それは彼らの死を使って自分の名を売ろうとしているように感じられるからだ。
だから極力亡くなられた方に関する自分の思い出、という形で落ち着ける。
なぜならその有名人と私は無関係の間柄だからだ。
私はあくまで有名人や選手を観客側席から見つめる人間。彼らは檜舞台で活躍する人間。同じ場所に介しているだけで立場が違う。同じ場所に介しているから同じ扱いにしていいと思わない。私におけるリスペクトの根底には踏み込んでいい場所とそれ以外という「距離感」にあると考えている。

だが渡辺泰輔選手は少し違う。一、二言でしかないが彼と出会って会話したことがあるからだ。
恐らく彼は私のことなど覚えていないだろう。それで十分だ。だからこそ、一瞬とは言え関わった人として弔おうと思う。

高校二年生の時だった。
元報徳学園監督をした福島敦彦監督が講演に来た時だ。福本豊が来たと勘違いして喜んだ記憶がある。今思えば相当の方が講演に招かれていたのだが、無知とは恐ろしいものだ。
その時に来賓としてではなく一般公聴者席に来られていたことを覚えている。

「今日は大学時代に一緒にプレーした渡辺君が応援にかけつけてくれている」
「彼は完全試合をした男で南海ホークスでプレーした」

と紹介されていた。
そのころには野球の歴史に興味を持っていたから随分と調べたものだ。完全試合をやった、というがプロ野球の完全試合達成者に「渡辺」という投手はいない。ノーヒットノーランには渡辺は数名いるが「南海」の渡辺は知らない。
そもそもインターネットもまだ触る機会が少なかった時代で個人サイトの乱立した、あまり正確性もない時代。田舎にある書籍では集められる情報もなく、何の話だか、と思ったものだった。
この完全試合が慶應義塾大学時代のものであり、それが当時唯一(対東大を除けば現在でも)ということを知るのはかなりのちの話になる。

少なくとも田川市(実際彼は田川市在住ではなく隣の直方市の方ではあったのだが)という片田舎にプロ野球選手、それもよくわからないけど完全試合した選手がいた、というのは驚いた。
知識を得た現在だと地元にも坂井勝二がいる(なんなら100勝以上上げた先発かつノーヒットノーラン繋がりで勘違いしていたと渡辺(秀武)とトレードされている)などを知るのだが、それでも当時はその存在感に驚かされたものだった。

講演会が終わった後、福島監督が野球部のコーチをするということだったので友人一人と部活を休んでふらふらと練習を見に行った。この時点でもう野球好きであった。
そこに渡辺氏はいた。
ニコニコしながらブルペンを見ていた。
三年の投手を教えていたことを記憶している。
体幹がぶれていることを指摘し、腕を胸の中で八の字を描きながらテイクバックをすると無駄なく腕を振れることを教えていた。
元プロ野球選手の指導を目の当たりにした。
今思い返せばまだ元プロ野球選手の指導云々が許された時代だったのかどうかきな臭いところではあるが、その一日以降学校に彼が来ることもなかったので蔵出し話として許してほしい。

「投手は心肺機能がそのまま投手としての力になるから鍛えないといけない」
と壁に手を付けて太ももを上げるトレーニングの話もされていた。
考えてみたらトレーニングやメカニクスについて興味を持ち始めたのはこれくらいの頃であったように思う。渡辺投手の話が先だったか、それとも初めて手に取った書籍が先だったか記憶はあいまいだが、折角なので彼がいたからと花を持たせたい。恐らく渡辺氏のコーチを目の当たりにしたから
「投手って走ることと投げることだけじゃないんだ」
と思うに至れたし、力があればメカニクスは気にしなくていいと思っていた。そこからであろう。たった数時間の邂逅ではあったが得たものは大きく、未だに覚えていることを考えれば私の人生に渡辺泰輔という人間の存在は想像以上に大きい。

「君は野球好きなの」
コーチングもある程度終わらせた後渡辺氏が私に声をかけてきた。
多分喋る人間もいなかったのだろう。学校のネット越しに立っている私を捕まえた。
「はい。好きなんですけど」
当時吹奏楽部に所属していた私は野球より大切なものがある、とは言えずに言葉を詰まらせた。
「好きならやらなきゃ。折角野球好きなんだから」
朗らかな声で言われた記憶がある。大きな体に似合わない優しい笑顔だった記憶が深い。

こんなすごい人がちかくにいたんだなあ

私はそう思いながらうなづくしかできなかった。
グラウンドでは福島監督に同級生がノックを受けている。
「君筋がいいぞ。もっと前進するんだ」
あまり褒めずに指導していた福島監督がその同級生をほめていた。身長は高いが細身で、部内の面々からも弄られる側の存在だった。野球部員とはそこそこ仲も悪くなかった私がみても野球部員的ながつがつした雰囲気を持たない子だった。

隣にいた友人が
「野球っていいなあ」
とつぶやいていた記憶がある。なにがどういいのかはわからなかった。
だが心の底から頷いた記憶がある。

今ではアマチュアの野球ライターとして多くの文章を書くに至っている。
それこそプロだけでなくアマチュア、世界、歴史と多くの文章を記すことをライフワークとするようになった。
そこの一角に「渡辺泰輔」という人間がいるのは間違いない。実際アマチュア野球を調べるようになって初めて「自分はとんでもない選手と会っていたのか」と驚くほどだったのだから。
それがなければ彼の存在も記憶の彼方であっただろうし、もっと野球の話をすることはなかったかもしれない。
そういうことを思えば彼もまた、私の人生におけるマイルストーンの一人なのだろう。

だからこそ、感謝を以てこの文章を書き記したい。

渡辺泰輔氏、安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りします。

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