高卒の直接MLB挑戦に悩む

 誰も知らない場所で、一人の投手が引退していた。
 ポストダルビッシュの一人とうたわれた投手は十六歳、ロイヤルズからのドラフトにかかり、アメリカを渡った。アメリカ行きのチケットを手に入れた時、彼には何が映っていたのだろうか。不安か。確信か。いかにせよ無残な結末でその物語は終わってしまったのだが。
 アメリカの片隅で、一人の少年が誰にも聞こえぬ叫びを残したまま、スタジアムを後にした。
 結城海斗の失敗を目の当たりにした我らは改めてアメリカで、いや、国外で野球をすることの重さを思い知らされている。

1, 不自然な右肩痛

 彼が失敗したのはなぜだろうか、と私はやはり考えずにはいられなかった。十六歳とはいえ、ポストダルビッシュの一人として名を連ねた少年である。少なくとも才能豊かな投手の一人として名を連ねていたとみてもいいであろう。
 そんな彼が三年を待たずして引退してしまった、というのはいささか衝撃的であった。日本の才能は水が変わるだけでこれほど育たないのか。
 彼の引退理由は右肩痛。ケガによる治療失敗が引退の引き金となった。
 ここで私は一つ疑問に思った。いくらなんでも簡単すぎないか、と。
怪我が治らず引退、というのは古今例に暇がない。フィジカルのダメージがそのまま本人のクオリティに直結するなんて今更言うべきことですらないだろう。だから怪我そのものは直接的な因果であることは間違いない。
だが試合に登板することなく引退ってそういう事があるか、と思ったのだ。つまり練習などで怪我をしてそれを治療できないまま退団に至った、ということだろうと。
私はこう思ったのだ。彼は病院などでちゃんと治療に専念できたのだろうか。
日本と違い、アメリカは皆保険制度を採用していない。民間の保険会社から保険を買う事によって成り立っている。値段次第で保険のグレードが天と地ほどあるのはアメリカに住んだことある人ならば誰でも知っている事だろうし、保険のグレードの差がそのまま貧富の差と言われるほどはっきりしているのがアメリカの保険の特徴である。
 そこで思ったのだ。結城投手は何かしらの保険に入っていたのだろうか。そして怪我などを受診しやすい環境にいたのだろうか、と。
 彼の所属していたところはルーキーリーグ、ともすればアカデミーと呼ばれるメジャーリーグ機構でも一番最下層に位置する。給与もさほどもらえていなかっただろうし、なによりビザが発行されていたかどうかも分からない。
 そしてなによりアメリカ社会や取り巻く環境から守ってくれる大人がちゃんといたのか、という疑問がある。
 よく同じ例にマック鈴木氏があげられるが彼には団野村というアメリカの野球を知る男がついていた。おそらく彼を通すことで生き残ったパターンが何度もあっただろう。
 しかし、結城投手にそういった存在はいたのであろうか。
 断言とまではいわないが、いなかったのではないか。
 となってくると、単なる右肩痛とも言えなくなってくる現状がある。初期の段階ではそれほど大きなけがではなかったかもしれない。しかし金もなければ相談役もいない。ましてや周りは言葉も通じず、明日の昇格に向けて恐ろしい勢いで成長しようとしている面々がいる。そんな状態の中で肩が痛い、や、メディカルチェックを受けたい、といった言葉を言えない環境下に置かれていたのではないかと思うのだ。
 そんな精神的に追い込まれていた状態で無理をした結果、取り返しのつかない怪我になってしまった右肩を治療しきれず今回に至ったのではなかろうか。
 日本のように「困ったら病院か整骨院。自分のか親の保険証をもって」というようなことが出来ない環境下のまま、孤独に耐えながら練習をこなし、そのうちに爆発したのではないか、と考えられるのだ。

2, 日本を選ぶか、あえて海外を選ぶか

 改めて思ったのだが、高校をも卒業できていない未成年が海外に渡航するのはかなりリスキーな判断であるように思える。それは言葉という分かりやすい問題から「今まで通り」が成り立たない、いわあb「ここから先日本国の法律適用せず」の海外になんのケアもなく飛び込むことは彼らにとってプラスになりえると到底思えない。
 一週間や一か月ならまだいい。最終的に逃げられる。集団で一年でもいい。同じ言語で同じ辛さを分かち合える事は勇気に繋がる。
 しかし、頼れる人がいない中でメジャーリーグという光だけを求めて単身アメリカに突っ走るのはやはり無謀である。どんなに才能があっても生活の面でケアしてくれる大人が一人でもいなければ野球以前に社会のギャップ差で摺りつぶすことなぞ造作もないことだからだ。
 それだけ日本に住み慣れているし、社会を知らない高校生ならなおいわんや、という具合だ。
「アメリカの空気を吸うだけで高く飛べると思っていた」
とはかのバスケット漫画スラムダンクの谷沢が安西先生に遺した言葉だが、果たして結城投手はそうなってしまったのではなかろうか。
 アメリカの空気を吸えば大都市の一部分に慣れると思っていたが、来てみればどこかもわからない田舎で、何もかもの勝手もわからぬまま、恐るべき才能が周りでひしめく中で逃げることも、助けを呼ぶこともできず、心身ともにボロボロになって消えていったのではなかろうか。
 勿論アメリカという選択をした結城投手に対して「選択の失敗」だの「おろか」だの言う気はないが、大人の誰か一人でも「日本と勝手は違うぞ」と言ってやれなかったのか。疑問は残る。大人一人でさえ海外で生活していく選択をするのは慎重になるものだ。その慎重さを誰も伝えなかったのか。伝えたが通じなかったのか。
 こうなってくるとやはり賛成しがたい現実がある。大学生になって海外にショートステイして肌に慣らしていきながら海外へ住んだり、ホストになってくれるような友人を大学で見つけて、お世話になりながら徐々に一人暮らしに合わせていく方法もある。
 如何せん、無茶がすぎたのではないか。そう思えてならない。
 そういう意味では日本国で野球が出来る事は幸いでもあろう。高校野球は高校野球の住みにくさみたいなものがあるとはいえ、少なくとも怪我をすれば病院に行けて、金銭などの心配はしなくともいい。野球から逃げ出したくなってもそれを日本語で吐ける相手がいて、なんなら野球を辞めても生活は成り立つ。
 そういう社会に触れる期間の少ない高校生ではやはりいきなりのアメリカ在住は無理なのではなかろうか。
 そう思えてならない。

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