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松坂世代は本当にすごい世代だったのか

まだ世間が巨人か地元のチーム以外の報道をほとんどしなかった頃だろうか。ズームイン朝が唯一セリーグの話をしていた頃でもあったか。
まだまだプロ野球の情報を受け取る事が限られていた頃だ。
松坂世代、というのはそういう時期に現れた野球界最後の彗星群であったように思う。

昨日Xでのスペースにて高校野球の話を聞いていたのだが、ふと松坂世代の話になった。
松坂やその世代が注目されることで一気に野球の間口が拡がった、というものであった。
高校野球そのものは当時でもかなり取り上げられたものであったが、その中でも松坂大輔や彼らを含む世代は別格であったように記憶する。
野球に対して強い印象のない幼少のころの私ですら「松坂大輔」という名前を知っていたくらいなのだから。

ちょうどJリーグが落ち着き、ワールドカップへの足掛かりを作るときであったか、野球とサッカーの人気関係がちょうど変化を迎えていた頃であったと記憶する。
そこに彼は彗星のように現れた。
誰もがあの甲子園で150km/h以上を放る怪物に心を躍らせたものだった。
昭和に現れた怪物、江川卓に心を動かされた人々の気持ちはまさにあのようなものであったのだろう。
「松坂大輔」という一人の天才がスポーツ欄の紙面を沸かせていた。

そのスペースでは「松坂世代直近の世代における高卒が弱く、それはJリーグによるサッカー人気の影響があったのではないか」と矢崎良一氏の「松坂世代」や上重聡氏の「20年目の松坂世代」を参考に挙げながら論じていたが、そこは気になったので少し調べてみた。
果たして本当に高卒が弱かったか。するとそうでもないことがわかる。

95年には近鉄を拒否して日本生命に進んだ福留孝介(中日、阪神、CHCなど)、斉藤和巳(ダイエー、ソフトバンク)、荒木雅博(中日)、長谷川昌幸(広島)などといった粒ぞろいで短期間ではあるもののスタメンを取ったり投手陣の一角を担ったりする高卒が多い。
彼らが大卒になる99年ドラフトがかなりひどい惨状で、藤井秀悟(ヤクルトなど)、木塚敦志(横浜)が活躍したくらいでこの次に軟式出身の異色選手である青木勇人(西武)が上がってくる程度にはひどい。

96年になると前川勝彦(近鉄など)、岩村明憲(ヤクルト、TBDなど)をはじめとして小山伸一郎(中日、楽天)、森野将彦(中日)、高橋信二(日本ハムなど)、鈴木尚広(巨人)、石井義人(西武、巨人など)、関本健太郎(阪神)など野手には大物が多い。濱中治(阪神)のような期待されていた枠もいる。
この年の高卒は大卒になってからが非常に厳しく、00年ドラフトでは阿部慎之助(巨人)という大打者が誕生している一方、山村路直、山田秋親(ともにダイエー)の山山コンビに代表されるようにかなり苦しんでいる。
全体として96年の高卒世代は野手の年であることが示唆できる。

97年になると確かに高卒が弱い。井川慶(阪神)、五十嵐亮太(ヤクルトなど)、新沼慎二(横浜など)が目立つくらいでそのほかは軒並み活躍しているとは言い難い。オリックスに入団した川口知哉が妙に記憶に残っている、というくらいか。
しかしこれが大卒が入る01年になると話が変わってくる。現在も現役の石川雅規(ヤクルト)、細川了(西武など)、 石原慶幸(広島)、江尻慎太郎(日ハムなど)と顔が並ぶ。特に小田嶋正邦(横浜など)田上秀則(中日、ソフトバンク)と捕手が多く、前述した細川、石原などはチームの一時代を築いていることからもその存在感がうかがえる。
ただ、高卒だけで見るとやはり松坂世代の高卒は多い印象は強い。

松坂世代は野球ファン、とりわけドラフトファンからいうと投手は恐ろしいほど充実しているにも関わらず打者は割と成功者が少なドラフトう評価が下されがちなのは有名なところだ。
特に松坂大輔がドラフトにかかった98年のドラフトに関しては、藤川球児(阪神)、東出輝裕(広島)、石堂克利(ヤクルト)、吉本亮(ダイエー)、実松一成(日本ハム)、古木克明(横浜)と松坂大輔、指名拒否から多くの悲劇を生んだ新垣渚含め8人がドラフト一位で高卒指名されている。逆指名が当たり前だった時代にこの年は異常値を出していることを含めても松坂世代効果はあった。
しかし、この中で投手は松坂大輔、藤川球児が飛びぬけているにして石堂、新垣と活躍している選手は多いが、打者としては活躍していない、は言い過ぎにせよ大打者になった選手はいない。この中で一番活躍したといわれたら東出くらいか。吉本、実松、古木は期待されながらも、という未完の大器たちであった。
そのほかに高卒野手は森本稀哲(日本ハムなど)などが入団している。

この松坂世代が大卒として入団してくる02年ドラフトでは村田修一、後藤武敏、矢野謙次といった打者としても大成と言っても差し支えない選手は出てくるもののやはり主流は投手といったところ。
恐らく30前半から中盤の野球好きに松坂世代で好きな選手を挙げろと聞けばほとんどが投手を挙げるだろう。それほど投手の年であった。

ここで言いたいのは指摘者の思い込みではない。
どちらかといえば聞いている我々も「そんな気がする」と感じるほどの影響力があったのが松坂世代という時代であり、それほど輝いて映っていたからこそそのような思い込みや間違いが生まれてしまった、というほうが正しい。
松坂世代というのは野球大国日本の金字塔と言ってもいい時代であったのだ。


ではなぜ松坂世代がここまで輝くのか、と言われたら日本が投手大国だからであるだろう。
日本に野球がもたらされたのは1890年代。アメリカでは少しずつながらジョン・マグロ―達がボルティモア・チョップなどのスモールボールを展開し始めていた時代だ。
「野球は打つもの」
という意識から勝利を安定化させるために投手力と守備力を徹底させていく時代に変化していた頃に野球は伝来している。
そして日本において野球は‘勝利‘をかなり意識付けられたスポーツであることを忘れてはならない。
日本に野球熱が興ったのは旧制一高がアメリカ人駐留者たちの横浜アスレチッククラブを倒したことから爆発的に普及していく。
「アメリカ人を倒せる」
黒船以降続いたアメリカへの敵愾心を勝利によって払拭したのだ。これは戦後の力道山まで続いていく。

それがだんだんと一高を早慶が倒すようになってから青井鉞夫のいう「野球は(一高が)教授するもの」から早慶どちらが優れたるか、というカレッジスポーツへと変化していく。早慶戦の勝敗一つで東京がよしにつけあしにつけ騒がしくなった。

とりわけ日本で野球が普及していく過程には「勝利」が付きまとう。
日本に伝来させた教師、ホーレス・ウィルソンは「結果より内容」を重視したにも関わらず、今日もどちらが勝ったか負けたかで一喜一憂している。
ある意味それが日本野球の宿命なのである。

そのような「勝利」を重視する日本野球で一番力を入れられるのは点を取る野手より先に、点を取られない「投手」なのである。
点を取られなければ負けない。打者は4回打席に立って1回成功すれば御の字というものだが、投手は9回安定してその4回のうち1回をひとつでも減らせば負けない。この勝利する思考が現在の投手偏重主義にあると考える。
野球は「打って点を競うスポーツ」ではない。「いかにして打たれずに失点を減らして勝利していくスポーツ」なのだ。

だからこそ松坂世代というのは輝く。
とりわけ「打たれない投手」が多く登場した松坂世代だからこそ、日本の野球史に燦然と輝くのだ。
前年は高卒、大卒含めあれだけ野手が豊作だったにも関わらずその後の98年世代が輝いて見えるのか。
それは野球が「打って点を競う」baseballとは違った進化を遂げた、野球というスポーツであることを示唆しているのだ。

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