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クラブチーム野球交流戦から野球の本質を見る

1,多く開催された交流戦

「アマチュア野球の盛り上がりが日本野球の力の源」といつも言っている私はクラブチームを一ファンとしてひっそりと追いかけている。
毎年大抵は日本クラブ選手権の予選から大会にかけてオープン戦に至り、12月までには終わっていることが多いクラブチームであるが、今年11月、かなり大きな変化が見られた。

11月11日、12日には千葉は市原市にて社会人野球クラブチームいちはら交流戦が。

同じ日に兵庫県でFun baseball League 2023が

12月2日には大田スタジアムで東京都クラブチームオールスターゲームが

公式非公式問わず多くの大会が開かれることになった。
これはなかなか見られなかった光景であったために心ときめいた。

アマチュア野球が段々と活発になってきている証明でもある。

2,増えていく交流戦

こういった交流戦自体がなかったわけではない。JABAにおける地方内チーム大会などは行われてきたし、クラブ同士でも公式、非公式問わず大会が行われてきた。
実際野球の活発な神奈川ではプロアマ交流戦こと神奈川県野球交流戦であったり、東京六大学では東京六大学-社会人対抗戦といった試合も行われている。世間的な認知度は低いもののアマチュア野球ファンなら知っていて当然というような祭典だ。

しかしこういった交流戦は大抵大学野球や社会人野球でも企業部がメインになることが多く、クラブチームに光が当たることはえてして多くなかった。
そうでなくともきちんと背景を知らないと草野球と混同されがちなクラブチーム野球はJABAに加盟金を払っていても日が当たらないことのほうが多かった。

この辺りの雰囲気を一気に変えたのは薩摩おいどんカップであろう。

この大会もプロや社会人、大学といったプロアマ交流戦の色合いを呈していた。新加入の新海屋も参加し、多くのチームが試合を争った。

そこに福岡は嘉麻市からクラブチームの嘉麻市バーニングヒーローズが2試合ながら参加することは大きな意味合いを持っただろう。
嘉麻市バーニングヒーローズは旧山田市が合併した2006年、芸能人井出らっきょらを中心として発足したクラブチームだ。隣の田川市が地元の私には山田市のほうがなじみ深い。
地域の住民が一体となってアクティブな行動をしていることが特徴で現在多少ながらやっているチームもあるyoutubeチャンネルの開設(https://www.youtube.com/channel/UCBjhgr9cKZHW1a5G_WAWz9A)、カードなどグッズ配布など様々な試みをしている。(これ以外にも大人の初心者向け野球教室など行っているのでぜひ目を通していただきたい)

そんな彼らがプロアマが戦う世界に殴り込みをかけたのである。

前述のとおりクラブチームは社会人野球でも企業部と違い、ともすれば草野球とも勘違いされやすい存在であり、いわゆる協賛企業を持つ半企業部ですら企業部の一歩後ろを歩かされがちな存在ではあった。
しかし彼らも”社会人野球”であった。
そしてその言葉通り「社会人野球」の一人として乗り込んでいったのである。

また、地元枠という部分があるにせよ同じくクラブチームの鹿児島ドリームウェーブが参加したのも大きい。
彼らもまた欽ちゃん球団と言われた「茨城ゴールデンゴールズ」の遠征試合で鹿児島県選抜チームを素体とする、クラブチーム野球が世間に注目されるときに作られたチームだ。
嘉麻市といい芸能人の動向が関係し、既存のクラブチームとは違った新風を巻き起こす行動に至ったチーム同士、というのはなかなか趣がある。

これがきっかけ、とは単純に言えないが、確かにクラブチームのチームや選手が集まってなにかをする、という機運が高まりつつあるのだ。

3,野球をきっかけとした交流

いちはら交流戦では試合のみならず野球を使ったチーム対抗レクリエーションを行ったことを横浜ベイブルース公式アカウントが伝えている。

チーム同士がやる野球、といえばどうしても試合に行きがちなのであるが、それと同じくして遠投合戦やリレー、ホームラン競争といった試合とは関係ない内容をしている。

私としてはこれは大賛成である。
どうしても野球は飛田穂洲が提唱した第一高的野球観、いわゆる野球道が強い。野球とは修めるものであり、勝って尚学ぶもの、という精神性が強い。そこにナショナル・パスタイムとしての国内人気があるからどうしても”野球を楽しむ”ことは軽視されがちで、”勝つ”ことを求められすぎるのだ。
対して早稲田閥にある飛田に対して慶応義塾派閥が「エンジョイ・ベースボール」を謳ってはいるものの、それは財力やそれに伴う余裕から発せられたものが多く、多くのケースに結び付けることは難しい。彼らのいうことは尤もであるのだが、いかんせん拡張性が低く、やはりその根底には勝利へのアプローチに至る。
どうしても日本には「精神性を持って勝つ」か「専門性を持って勝つ」かの二択を迫られがちなのである。

だからこういった腕試しは余興として扱われ、そこから生まれるコミュニケーションなどを無視しがちになるのだ。
レクリエーション的な肩の力が抜けた状態だからこそ会話できることもある。
真剣勝負であると相手に「どこまで自分のノウハウを話すか」といった取捨選択が起きてしまうのだ。なぜならそこには「勝敗」が絡んでしまうからだ。
だからこそ単純な肩のほぐれた状態で普段聞けない技術やトレーニングの話を、それこそ雑談の延長で話し、意見交換し合える。
これが生涯学習という視点においての野球においてかなり重要なのだ。

例えば読者の中に「野球はやってみたいけど敷居が高い」と感じている層は少なからずいるのではないだろうか。
皆真剣でやけに頑張ることを求められる。そのうえ周りは自称野球を知っている評論家ばかりで会話するのも疲れる。そもそも初心者の自分がやったところでチームの足を引っ張る。
だからやったことがない、なんていう人も多いのではないだろうか。
これは日本における野球というスポーツの悲劇である。ふらふらと友達や知り合いが集まって草野球とも呼べないレベルの野球をやり、プレーと今夜のビールを一味よくするために楽しむ、という気質があまりにも弱すぎるのだ。

楽しい、ではなく頑張るから、上手にならなければならない。
この固定観念が日本野球を縛っている。結局慶応義塾的な「エンジョイ・ベースボール」にあまり納得がいかないのもここの払しょくを彼らがなせているとは到底思えないから、というのもある。
やはりどこかで頑張ることを求めてしまうのが今の日本球界なのだ。

しかし元々野球なんていうものは日本ですら遊びから発展したものだ。
昭和期、プロ野球に入った誰もが子供のころから活躍した、というよりも近所の友達界隈で一番遠くにボールを投げれた、や、一番ボールを飛ばせた、程度の、誰もが持っていそうな無邪気な逸話と共に形成されてきた。
学校から帰ってバットとグラブを持ってろくむしにいそしんだ、という選手の逸話はいくらでもある。日本野球だってその風景があったのだ。

そこまで先祖返りすることは不可能であっても、こういったレクリエーションからは蘇らせることができる。初心者であろうがド素人の大人であろうがボールは投げられるしバットは振れる。
そして相手のボールをグラブでキャッチした時、ぼてぼてのごろながら自分のスイングでボールを捉えた時。不思議な感動がある。
ただ走っているだけで、到底速いとは言えないのに精いっぱい走って汗を流している自分がいる。
この積み重ねがスポーツとして形になったものの一つが野球であると思うのだ。

そういったものを彷彿とさせるのがこのレクリエーションの素晴らしいところなのだ。
「勝つ」のではなく「競う」ことにこそスポーツ本来の持つ楽しさの源流が流れている。一位でも最下位でも参加したことに意味があり、精いっぱいやったことが全てだ。その順位は二の次で、そこから発生したコミュニケーションこそが本当に必要な答えだ。
こういった要素を内包しているのだ。

4,終わりにかえて

こういった野球による交流というのはもっと増えていくべきであると思う。
昨今は少子化も含み多くの子供が野球をやらなくなり、一部のエリートスポーツとなりつつある。
しかしそれは野球の本質からは少し外れる。

「状況が揃えば町にいるアイロン屋の主人でもエースになれる」

というのはアメリカの野球を表す古典的な言葉だ。誰が言ったともしれないこの言葉に私は野球の本質が隠されていると思っている。
野球は多くのプレーヤーが楽しみ、その中で多くの出会いがあり、そして楽しみの中から高め合う。これこそが野球のすばらしさだ。

それをほかならぬクラブチームが今年精力的に活動しているのは注目したい。ほぼプロのような形になっていてその昔オリンピックでも批判が起きた企業部、野球振興よりも利益追求にいそしむプロ野球、NPBばかりに目がいきがちな独立リーグではこのようなところに向かうのは難しい。
だからこそ「自分の意志」で野球をやっているクラブチームが行うのは大きいのだ。

こういったクラブチームの交流戦はぜひ多く行ってもらいたいものである。

個人的には私は大学、院と共に別府に住んでいたので
「クラブチームの選手に試合してもらいながらついでにお風呂入ってもらおう」
みたいな企画、別府市やってみてはどうかと思うのだけれど。荒巻淳などの別府星野組があったように社会人野球の接点があった地域なのだから。

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