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「沈黙は金」とは限らない

「沈黙は金」という言葉がある。「雄弁は銀」とも言うから、「沈黙は雄弁に勝る」という意味なのであろう。筆者もそう思う。だが、それだけではない。雄弁に劣る沈黙もまた、あるのではないか。違いを明確にするために「金の沈黙」、そして銀の雄弁に劣る「銅の沈黙」と、二つに分けて考えてみよう。

「金の沈黙」は、いわばノンバーバルコミュニケーションのひとつだと言える。言葉で表せない真理が、言語を超越した態度などで伝わるということだろう。では、「銅の沈黙」とは何か。言葉にしたくても出てこないことではないか。「金の沈黙」はある程度、意識的・積極的に行われるもので、「銅の沈黙」は消極的なのだと思う。現代日本人の沈黙は、どちらだろうか。思いを言葉にすることすら、どこかはじめから諦めてはいまいか。

人間はどのみちどうあがいても、完璧にはわかり合えない。だからこそせめて、言葉を尽くして話し合いたいものだ。そうした努力の傍らで、「金の沈黙」が自然に立ち上がるのだと思う。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。