さくらももこさんが、意外なほどインテリだったという噂はかねてより耳にしていた。「さくらももこ展」を拝観して感じたのはご本人が、おそらく意図的にそういう側面を出さなかっただろうこと。エッセイに哲学的側面があったり、2歳半で看板の字を朗読して周囲を驚かせたことは展示会でもわかったが。
お陰様で51歳の誕生日を迎えることができました。note には読んでいただけることはもちろん、書くこと自体が生きる励みになった次第です。一度でも目を通して下さった皆さまに、心より感謝申し上げます。
本棚に布をかけています。心身の調子が悪いと、寝床から背表紙が見えるのもしんどいから。『すごいよ! マサルさん』は関係ありません。たぶん。
「さすが!知りませんでした。すごいですね、センスいいですねえ、そうなんですね!」 モテの「さしすせそ」は素晴らしいが、上記のように全部つなげると高田純次みたいである。
岡田斗司夫さんが本当に知的な人だと思うのは、「自分はサイコパスだ」と先ず言い切ってしまう点である。実のところは分からないし、もの凄い予防線の引き方ではあるが、なかなか思いつかないことだ。実行するのは、もっと難しいのではないか。
「人様」という日本語は、周囲への気遣いを匂わせる。あまり自分が入っているという響きではないが、自分も「ひと」だから含めてみればどうか。周囲も自分も大事にできれば一番いい。「自分も人様のうち」と考えるようにしてみようと思う。
トラウマは、自分の中でも「下手に解き放てない」もの。トラウマ保有者は、落としてはならない物を無意識に、常に抱えているのと同じ。落とさないことに、脳のメモリもCPUも力を割いているのだ。心に余裕が持てないのも、自然なことなのかもしれない。
南方熊楠の息子、熊弥は重い精神病になってしまう。だが熊楠自身は無事であった。違いを生んだ最大の要因は、熊楠が東大予備門を中退後、海外へ渡航できたことではないか。当時としては珍しく、身をもって日本文化を相対視できたと思うのだ。様々な文化に触れることで精神を健康に保った一例かと思う。
「甘え」とは、心理的に一体になりたい欲求。赤ん坊が母親に対して持つが、人間の究極の願望でもある。「甘やかすと甘えられなくなる」とは土居健郎の名言だが、もっと注目されるべき。無闇に相手に接近すると、相手は接近の自由を奪われるのだ。対人関係で、極めて重要。厳しければ良いのでもない。