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私とYAECA(前編)【着る】

 大学は関西にあったのだが、四年生のとき、就職活動でよく東京に行った。夜行バスで何往復もしたのだが、東京に滞在していた日数は全部で2週間くらいだろうか。決して少なくはない日数だ。それまで東京への憧れのような気持ちは長年いだいていたが、実際ほとんど東京には行ったことはなく、この時期の上京は私にとって思い出すことの多い出来事である。YAECA(ヤエカ)の店舗へ行ったこともその一つだ。

 私がYAECAについて知ったのは雑誌のPOPEYEだったろうか。それともmen's FUDGEだったか、あるいはCLUEL hommeだったかもしれない。当時多くのファッション雑誌で取り上げられていて、数ページにわたる特集も組まれていたりした。それでYAECAというブランドについて、少しずつ知るようになった。
 それは私がようやくファッションに目覚めてから1年が経とうとしていた時期で(私がファッションに興味を持ち始めたのはだいぶ遅い)、その端正な見た目とブランドの世界観(ストーリー)に惹かれるものがあった。それまでは特に何も考えずいろんなところで、そのとき気になった(比較的安い)服を買っていたのだが、そうではなくその服の「ブランド(つまり、誰がそれを作るのか)」を意識するようになった。「ここが作る服を着てみたい。」ブランド(作り手)に対する「推し」みたいな感覚だろうか。
 とは言え、すぐにYAECAの服を手にしたわけではない。大学三年生だか四年生には簡単に手が出せる価格ではなく(もちろん今でもぽんぽん買えるわけではない)、「いつか買いたい憧れの服」の一つとして頭の片隅にあった。

 そんなYAECAの服だが、大学四年生の秋、内定先の内定式に出席するために上京する用事ができたので、そのタイミングで店舗に行ってみようと思った。就活中は宿代も大きな出費になるので、用事が済ませたら泊まったりはせずそのまま夜行バスで帰っていたのだが、今回は内定式以外に用事もないし、1日くらい早く東京に着いて、ゆっくり観光がてら買い物するのも悪くない、と思ったのだ(実際には前々日入りしたような気がする)。
 ちなみに、関西でもYAECAの服を買えるところはあって、梅田にあるSTEVEN ALANで、YAECAとの協業レーベル・YAECA PARKを取り扱ってはいた(メインラインも取り扱っていたっけ?)。しかしまあ、やはり東京の直営店で買ってみたいという気持ちがあったため、このタイミングで買うのがよろしいのでは、と思った次第だ。

 で、内定式の前日、9月30日、これまで雑誌やインターネットで眺めていて漠然とした憧れをいだいていたYAECAの本拠地へ足を踏み入れるということで、そわそわわくわくしていた。そんなとき、人はそうなるものだ。
 その日はまだ残暑とも言える日で、気温は25度くらいはあったろうか。神戸の行きつけの古着屋で買った茶色っぽい総柄の長袖シャツに、これまた同じ古着屋で買ったカーキだかベージュだか分からない微妙な色合いの、クロップド丈に丈詰めしたスラックスを履いていたことを覚えている。シャツは袖まくりをしていた。シャツにスラックス、季節の変わり目には最適な組み合わせではないだろうか。それでも歩いていると汗がにじむくらいには暑かったのだが。

 目指すは中目黒にあるYAECA APARTMENT STORE。駅から徒歩15分くらい歩いたところにあるらしい。ところが、グーグルマップで調べても外観として表示される写真は、数十年そこから中目黒の端っこの名もなき通りを見下ろしてきましたと言わんばかりのやや古びた感じのマンションだか雑居ビル。こんなところにあのYAECAが?これが洒落ってものだろうか?
 ※追記:そう言えば、神戸の行きつけの古着屋も名もなき雑居ビルの2階だか3階だか4階だかにひっそりあったじゃないか。

 少し汗ばんだままビルに入り、階段を上った2階にその店はあった。頑丈そうな扉には特に店の名前は書かれていなかったと思う。あるいは、小さく確かに書いてあったのかもしれない。緊張のため、そのような記憶になっているのかもしれない。いずれにせよ、「ほんとにここでいいんだよな?」という気持ちで、しかし「ここに確かにあるはずなんだ」と自分に言い聞かせ扉を開けた。

 そこにはまさに雑誌で見ていた「YAECAの空間」があった。コンクリート打ちっぱなしの静謐な床に、いくつかのラックが余裕をもって並んでいる。それぞれのラックにはシンプルで、でも作りの良さそうな服がかかっている。これまで雑誌で読んできたYAECAの服だ。見た目はいたってシンプルだ。ぱっと見「これぞYAECA」という分かりやすいアイコンがあるわけではない(じっくり見ると、それと分かる特徴は確かに見受けられるのだが)。それでもそこにはYAECAをYAECAたらしめるアイテムが並んでいた。あるいは店の空間がYAECAの服をYAECAたらしめていたのかもしれない。

胸にはポケットはなく、脇にポケットが付いている。
ポケット口は別布で補強されている。

 目当てはシャツ。スナップボタンとサイドポケットが特徴的な、シンプルなシャツだ。スタンダードなモデルは丈が短くアウトタック前提。襟もコンパクトでかわいい。カフスも短めで、腕まくりしたときに軽快な感じになる。どれもドレスシャツとは正反対のディテールだ。あくまでカジュアルで気軽なアイテムであることが分かる。
 シャツ以外のアイテムも見てみる。普段目にしないYAECAの服だ。どんな感じか触ってみたい。ふむ、やはりどれも端正だ。シンプルで、合理的で、静かで、だがコンセプトを感じる服。デニムはしっかりした生地ながら柔らかさもあって、「服はあくまで道具である」という意識に基づいている。スウェットはありえない厚さに感じた(もちろんいい意味で)。どんだけしっかりしてるんだ?これ。どのアイテムも実際に着てみたくなるような、生活に寄り添ったアイテムだった。

 さて、シャツだ。私はシャツを探しにきたのだ。店員さんにそのことを伝え、合うサイズを探してもらった。その日、店にはカーキのメンズシャツがあったように思う。白シャツもあったかもしれないが、当時(というか今も)白いシャツに2万円を出す勇気がなく、色のついたシャツを探していたように思う。
 とにかく、カーキだ。どちらかと言えばブルー系のシャツが欲しく、店員さんに伝えたところ、今はレディースのシャツしかないとのこと。メンズは売れちゃったとか。そう言えばシーズンの終盤でしたっけ。レディースでも一番大きなサイズなら入るかもしれないと言うので、とりあえず試着させてもらった(YAECAの店員さんはとても丁寧で親切でした)。サックスブルーのブロード生地。

 これが、私が初めてYAECAの服を着た瞬間だった。

 なんてことないシンプルなシャツだ。それでも店の空間も相まってか、そこには丁寧な暮らしをしていそうな青年の姿があった。

 とても良いシャツ。ただ第一ボタンだ閉まらなかった。閉めるスタイルでも着たい。

 店員さんが別の店舗に確認をしてくれた。白金の店舗なら、メンズのシャツが置いてある、と。「行ってみますか?」
 「はい」と私は答えた。

後編に続く。

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