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人生は所詮、#撮るに足らない 瞬間の連続だけど。

僕らの過ごす日々は、ドラマみたいに緩急のついたものじゃない。

僕らの過ごす日々は、豪雨のなか傘もささずに誰かと激しく抱きあうことなんてない。そんなことをしてズブ濡れにでもなったら、帰りの電車で乗客から好奇の目を向けられることくらい容易に想像がつくからだ。

僕らの過ごす日々は、初恋の相手と同窓会で再会して「ちょっと外出ない?」なんて言って、あの時と同じ河川敷を2人で歩き、再度恋に発展することなんてない。その頃には、きっとお互い別の恋人がいるだろうし、家庭だって持っているかもしれない。それを壊してまで“あの時”を取り戻せるほどの体力はもう残っていない。そもそも、“あの時と同じ河川敷”なんか、そんなに都合の良い場所にはない。

僕らの過ごす日々は、行きつけのバー(昼はカフェで営業するタイプ)があって、そこのマスターと仲良くなっていたりしない。マスターに「彼女、待ってるんじゃないの」とか言われて走り出したりしない。たぶん、彼女は待っていない。

僕らの過ごす日々は、ゾッとするほど平坦だ。

そんなことは言われなくても十分わかっているから、インスタに投稿できるような内装の店に行ってみたり、必死になってポエムを考えてみたり、街で見かけた人のエピソードを脚色してネタにしてみたりすることで、日々を緩急のついたコンテンツに練り上げる。

コンテンツになった僕らの日々は、いいねをされたり、リツイートをされたり、フォロワーが増えたり、クソリプが送られたり、ネットニュースにまとめられたりして、誰かのものになっていく。わかってくれる人がいるんだな、認めてくれる人がいるんだなって、嬉しく思えたりするけど、本当に自分が見ていたことや感じたこと、思っていたことは違ったのになって、本当はすこし寂しかったりする。

誰のものにもならない、誰かの取るに足らない日々は、いまどこにあるんだろう。

「〜する方法3選」ではなく、マネタイズをしようとしたものでもなく、オンラインサロンとかそういうものでもないブログは、もう読めなくなっていくのかな。

取るに足らないことだって、僕らのかげかえのない人生の一部なのに、と思うのは綺麗事すぎるかしら。いいねはされないし、リツイートもされないかもしれないけど、残したくなる何かが確かにあった。撮らなくてもよかったのかもしれないし、載せなくてもよかったのかもしれないけど、撮ってしまったものが確かにある。

僕は、そんな誰かの撮るに足らない瞬間を見たいと思ったから、口実をつくりました。「いいねもリツイートもされなくていいもんね」と割り切って、「でも私は好きだけどね」って思う投稿のために使ってみてくださいね。

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