奈辺

写真家/映像作家。ちょっと寂しくなったとき、一緒にひとりぼっちになれる場所。

奈辺

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    おちつきたい。

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現代の暮らしを記録するために、いろんな人の部屋の写真を撮って写真集にしたい。【後半に募集要項を記載しています】

友達の部屋で過ごすのが好きだった 高校生の頃、放課後に友達の家に集まってただただ駄弁りながら過ごすのが好きだった。漫画を読んだり、テレビを観たり、ゲームをしたり、うたたねしたり、自由に過ごしていた。 一方、当時の自分の部屋はなんか味気ないし、人を入れたくなかったから、友達を呼ぶ気にはなれなかった。そんな部屋や態度が恥ずかしくて「家行っても良い?」と言われても断るような感じだった。 きっと、人を招く部屋にはたくさん物があって、過ごし方の導線がいくつかあって、コミュニケ

    • どうでもいいことばかりなら、本当にどうでもいい話がしたい。

      日曜朝5時、曇天。学生時代の先輩の誕生会で朝まで飲み歩いていたところから帰宅し、真っ先にシャワーを浴びた。身体にこびりついた汗を流すほかに、昨夜の自分のおこないの愚かさやくだらなさを清めたくて、いつもより冷ためのシャワーを浴びた。そろそろ夏がやってくる。暑くてむさ苦しくて、人々が皆躁状態になって喧しい季節。気温だけではない、夏に付随する形相も身体を火照らせる。行き場を失った熱を冷ためのシャワーで流してやるのである。試したことがある方はわかるだろう。熱を帯びた頭皮から生ぬるいお

      • なにかがプツンと切れて、仕事を休んだ。

        目を覚ましてからしばらくして、「ああ、今日はもう無理だ」と朦朧の中で確信し、職場に休むことを伝えた。それからは、せめてもの罪滅ぼしの意識からか出来るだけ正しい姿勢で寝床について、夕方まで意識を失っていた。 生活にかかわる諸々について限界だと思うことは特別珍しいことではない。前日にどんな素晴らしい出来事があったとしても、新鮮な気持ちで絶望をもって一日を迎えることはある。著しい睡眠不足のせいだとか、栄養の偏りのせいだとか、もうこれ以上虚業に与したくないだとか、人間関係がうまくい

        • 滞った生活の現状、失われた希望と周期的な吐き気

          生活は周期的に滞る。定められた僅かな使命さえまっとうできず、惰眠を貪り、いつのまにかすごい速さで生活は腐敗していく。やりたいことをやって、着たい服を着て、好きな場所に住んで、人に恵まれているような未来がまるで想像できない。 眠れない日にはスマートフォンに残っている過去のか記録を見て懐かしむ。数年前の自分は今よりずっと楽観的で、僅かな希望を手繰り寄せるように、今の自分から見れば危険な選択をしながら、未来を想像していた。その未来の渦中にある私は過去の自分への嫉妬で苦しめられてい

        現代の暮らしを記録するために、いろんな人の部屋の写真を撮って写真集にしたい。【後半に募集要項を記載しています】

        • どうでもいいことばかりなら、本当にどうでもいい話がしたい。

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          7本

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          誰の目にも触れないで、どこの輪にも混ざれないでいて、いつも「外部」の人物として生きている

          辺りは一面どこかの広大な校庭のようで、私の周りには3つのグループがいた。楽器を弾きながら音楽の話をするグループ、淡々と絵を描くグループ、スポーツに励むグループ。それぞれがそれぞれのグループで楽しんでおり、特有の文脈を持っていて、和気あいあいとしている。私はその様子を、暫しの間眺めているところだった。 スポーツのグループを覗いて2つのグループには知り合いがいたので、話しかけにいくことにした。まずは「楽器を弾きながら音楽の話をするグループ」。後ろから声をかけると驚かれた。今まで

          誰の目にも触れないで、どこの輪にも混ざれないでいて、いつも「外部」の人物として生きている

          生温く包みこむ郷愁、夢の途切れと物語の喪失

          瞼を薄らひらいてみよう。そこには各々の景色が浮かぶ。そしたら、次は瞼をゆっくり閉じてみよう。そうすれば、我々の身の回りに起こるすべての出来事が嘘(存在しないこと)だとわかる。鬱も快楽も同様に、すべて脳の反応であり、誰もこの虚しい現象にとどめを刺すことはない。 「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という言葉を引用したマーク・フィッシャーは長年鬱に苦しみ、自らこの世界を去った。彼は『資本主義リアリズム』について以下のように説明をしている。 我々は現行

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          表現者と不健康における現代的な潮流、あるいはかつて彼らが依存した事柄について

          昨今なにかしらの創作物とその担い手について、「健康なほうが良い」という態度が目立ってきたのではないかと感じている。むしろ、不健康を冒してまで創作に励むのは愚かである、という言説さえ流布されているような気がする。例えば、作家の朝井リョウは自らを「リア充」と言っており、「非リアじゃないと小説を書けないみたいな風潮」に疑問を呈していた。 一方で国民的なポップソングの作曲家は覚せい剤取締法違反で有罪となった。過去に遡れば、「ぼんやりした不安」を抱えて服毒自殺した芥川龍之介は睡眠薬漬

          表現者と不健康における現代的な潮流、あるいはかつて彼らが依存した事柄について

          永すぎた夏が終わった頃に気づいた事柄

          令和3年8月4日、酷暑。なんとなく最近は抑うつ状態が激しいと思っていたが、約2年ほど過ごした恋人との交際関係をあっさり解消したのだった。今の僕はこの事態について詳細に記すことができない。もちろん相手のこともあるが、「あまりに酷いショックからか記憶の断片が剥がれ落ちている」という人生で初めての経験をしているからだ。こういう感情の経路は比喩だと思っていたが違った。人は強い精神的ショックを受けてトラウマを負うと、傷つくことを避けてか、その経験を他人事であるかのように処理し、人格が分

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          永すぎた夏が終わった頃に気づいた事柄

          2020/11/06 「日記を書く際は日付を冒頭に置くことにしているが、もともと本文にも日付は表示されているのであまり意味がないと気づいた」

          今日はひさしぶりに出社をした。僕はリモートワークが中心だから基本的に家にいることが多いので、出社をするとなると「仕事をしにいく」という意識が芽生える。別にリモートワークのときだって仕事はしているのだが、会社という仕事をするためだけに設計された空間に行くとそういう実感があって、すこし身構えることになる。リモートワークであれば始業時間と終業時間にPCかスマホで打刻をすればそれで勤務していることになるが、会社に行く場合は離れた場所にいくのに間に合う時間までに身支度をして電車に乗る必

          2020/11/06 「日記を書く際は日付を冒頭に置くことにしているが、もともと本文にも日付は表示されているのであまり意味がないと気づいた」

          許容することを強要される側の苦しみは、いつも無視される。

          苦しさを告白した誰かが「苦しいのはあなただけじゃないよ」と言われて苦しかった、という話を聞く。 たしかに、自分が苦しさを抱えているときに「より大きいとされる苦しさと比較すればあなたの苦しさは大したことではない」と言われたら、わたしはわたしで苦しいのになあ、と思うのも無理はない。 苦しさの告白は誰かに許容されたい。そういう世の中であったほうが居心地が良いのは想像できる。異論なく世界がそうであって欲しい。 しかし、ここで“ある苦しさの存在”が一旦無視されてはいないだろうか。

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          許容することを強要される側の苦しみは、いつも無視される…

          書くしかない人にとって、「書くこと」は箱庭療法的な営みだった。

          ある批評家が「自分にとって文筆は箱庭療法のようなものだと気づいた」と言っていた。自分にとっても書くことは癒しの側面があると思った。 このテキスト編集画面をひらいているということは、なにかに傷ついていて、きっと助けを求めているのだと思う。しかし、誰かが癒してくれるわけでもないので自ら慰めるしかない。そうすると、自分の内面を文字として外部へ出力し、切り離し、視認できるものへと変換することで自分を客体化させようとするのである。 自分だけが抱えていた痛みやツラさや寂しさなどは自分

          書くしかない人にとって、「書くこと」は箱庭療法的な営みだった。

          そういう秩序であなたは生きているんだね

          「嘘を吐き続けてそれでも愛されたとき、どの種類かわからない涙が流れた」という言葉をみた。 僕は、そのように人を愛することができるだろうか。 ひとが嘘を吐いたとき、それが嘘だと気づいていても、どうしてか信じてしまう。人は本当のことよりも、自分が信じたいことを信じてしまう弱さがあって、例に漏れず僕も生存本能的に信じたいものを信じているのかもしれない。 信じるということは愛なのだろうか。はたまた妥協? 「許す」ということとは、どれだけ距離があるのだろうか。相手に欺かれているこ

          そういう秩序であなたは生きているんだね

          友達だから仲良くしなきゃいけない、恋人だから愛さなきゃいけない、家族だから大切にしなきゃいけない、なんて必要は全然ない。

          こちらは友達だと思っているけどあちらは本当に友達と思っているのだろうか、恋人だから尽くしたり知ったりさらけ出したりするべきだろうか、どんなに相性が悪くても家族は選べないから関係していなくちゃいけない、といった関係性に寄せた悩みや思いこみはすべて呪いだ。 もともと人間関係は不変じゃない。喧嘩をすれば仲が悪くなるし、魅力を感じなければ退屈になるし、自分が不利益になるような要求をする相手の要求なら拒否をする。つまり、関係性の型(友達、恋人、家族等)が先にあって関係すること自体が目

          友達だから仲良くしなきゃいけない、恋人だから愛さなきゃいけない、家族だから大切にしなきゃいけない、なんて必要は全然ない。

          研ぎ澄まされた苦悩には、孤独が似合う。

          昨年の新作映画は「格差」や「分断」をテーマにしたものが多かったように思う。急速なグローバル化、デジタル化が豊かさの平均を底上げをもたらすという楽観は、ある意味では当たった。たとえば、かつてフォードが同規格の生産ラインにより乗用車を大量生産する仕組みを発明したことで、アメリカ社会に「中流階級」を誕生させたように。現代ではAppleがiPhoneによって情報社会における「中流階級」を生み出したと言えるかもしれない。 しかし、「格差」はひらいた。または顕在化した、あるいは問題とし

          研ぎ澄まされた苦悩には、孤独が似合う。

          まとわりつく。

          インスタントコーヒーを掻き混ぜたように夜が朝に交わり溶けきろうとしたころ、僕はせいぜい人がひとり収容できるほどの窮屈な部屋に閉じこめられていた。薄らと明かりは灯っているようだが、手もとはよく見えない。どんな体勢をしていたかうまく思い出せないが、頭を抱えるようにして蹲っていたとすれば辻褄が合う。 頭上で鳴っている音はかろうじて聴こえる。耳もとではなにかが囁きつづけている。いや、囁きというには喧しい。けれど、音の像はぼやけていた。なにかが僕にくりかえし命令をしている。決して身体

          まとわりつく。

          2020/05/25 「1」

          曇り。最近はおおむね過ごしやすい気温。たまに暖房をつけるか冷房をつけるか迷う。長く続いた緊急事態宣言下の状況も収束に向かい、すこしずつ元の生活に戻るらしい。騒がしい街、娯楽施設、友人、懐かしくないと言えば嘘になるし疫病による被害が拡大してほしいとはもちろん思わないけど、できるだけ家に籠ることが良しとされる環境は自分にとって都合がよかった。もしも許されるなら、これを心地良いと感じる人だけの世界に住めたらいいのにと心底思う。 Twitterを眺めたら誹謗中傷について議論が交わさ

          2020/05/25 「1」