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永すぎた夏が終わった頃に気づいた事柄

令和3年8月4日、酷暑。なんとなく最近は抑うつ状態が激しいと思っていたが、約2年ほど過ごした恋人との交際関係をあっさり解消したのだった。今の僕はこの事態について詳細に記すことができない。もちろん相手のこともあるが、「あまりに酷いショックからか記憶の断片が剥がれ落ちている」という人生で初めての経験をしているからだ。こういう感情の経路は比喩だと思っていたが違った。人は強い精神的ショックを受けてトラウマを負うと、傷つくことを避けてか、その経験を他人事であるかのように処理し、人格が分裂することがわかった。

あまりに五月雨式に起こった出来事なものだから整理するために思考したいところではあるが、脳内の記憶を検索するシステム自体がエラーを起こしているみたいなのでできない。いづれにせよ常に気分が悪いため、面倒臭がって避けていた抗鬱剤も医者から指示された量を試してみたりしている。睡眠導入剤ほど効き目があるのかわからないが、たったひとつのカプセルで脳内のセロトニンを調整することが人間の感情を制御するのかと思うと、いったい今までの自分の感情は何だったのか? と不思議に感じる。

気を紛らわすため、大学時代からの先輩に誘われるがまま駄作の映画を観に行ったり、ずっと読みたかった柄谷行人の『日本近代文学の起源』を購入するだけして満足してみたり、文芸誌『現代思想』で自由意志と決定論について物理方面の概論的な議論を読んで頭上にひよこを飛ばせてみたり、せっせと収集し保存していたパブリックドメインの映像をサンプリングしているものの、どうにも寂寥の感が拭いきれない。それもそのはずで、恋人がいた頃はいつも何かしら連絡を取っていて、退屈なときにはなにを喋るでもなく電話を繋ぎ、二週に一度くらいの頻度で会うといった依存関係にあったのだから、もともとすっかり諦めて過ごしていたひとりの時間をどう消化するものだったか、思い出せなくなっていたのだ。

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