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犬の服作りに一瞬だけハマって秒でやめた話(DAY148)

以前に一瞬だけハマってやめた
「犬の服作り」。

当時を振り返って、

承認欲求や自己顕示欲について
想いを馳せてみたのでした。



我が家ではパグを飼っています。
可愛いです(可愛い)。

実家にいた頃も犬を飼っていて
先代・先々代ともに、パグ。

パグの

「チャックの奥に、おっさんが入ってる感」

がたまらなく好きです。


おんなじパグでも

  • 初代:人が好きすぎて時おり脱走するほど。運動大好き。

  • 2代目:ツンデレ。運動大嫌いで激太り。

  • 3代目(現在):やんちゃガール。天真爛漫そのもの。

このように性質が異なります。


2代目パグの女の子を飼っていた頃、

いっときだけ「犬の服作り」にハマっていたことがあります。

図書館でたまたま見かけた
「手作りの犬の服作り」という本。

「これだ!」とビビッときて、

  1. 放置プレイで使い方も忘れた
    埃高きミシン

  2. カレーやケチャップをこぼして
    汚れが取れなくなったけど
    可愛くて捨てられなかった洋服

  3. 本の型紙をコピーしたもの

この3点セットとともに

「これ、いけんじゃね?」

と、せっせと製作していたのですが・・・


3ヶ月経たないうちにやめちゃいました。


ふと、当時を振り返り、

「こんな原因があったなあ」

と、しみじみ。


原因①うちのこが服嫌いだった


まず原因のひとつとして、

うちのパグが
「大の服嫌いだった」
ことが挙げられます。

東日本大震災(震度6)があったときも
「へそ天」で寝ていたくらいの
呑気な犬でした。

一方で、犬の服に対する闘争心というか、
憎しみの心がものすごく大きかったです。

例えば漫画で、
仲間を傷つけられたルフィなど主人公が
めちゃくちゃ怒るシーンが
あるじゃないですか。

あの時の、ルフィの怒り顔のコマの
背景にあるメラメラした感じ。

それが、うちの犬の背景にも
見出すことができました。

「犬の服」という存在が
彼女(犬)の尊厳を
傷つけたのでしょうか・・・


忘れられないエピソードがあります。

昔、ギャル服にハマっていた頃に着ていた
幸せそうなレインボーカラーのパーカー。

これを犬用にリメイクしたことがありました。

「袖が汚れたから着られない・・・
 でも、ロキシーの服だから捨てられない」

そんな「箪笥の肥やし」の二次利用として
犬の服へのリメイクは最適でした。


たっぷりサイズのパグだったので、
少しきつかったかもしれません。


「ギャルが爆誕!」と
可愛らしさに身もだえしながらも、
犬に服を着せることが初めてだったわたしは
がんばって
袖に腕を通したことを覚えています。
(初代パグはオールウェイズ裸でした)

若干ぱつぱつでしたが、
ホント可愛かったです。



ところが、少し目を離したスキに、
彼女(犬)は
すっかりと服を脱いでしまっていたんです。


人間がやっとの思いで
服を着せたというのに、、、!


関節外しでも行ったのでしょうか。


そして
「おもちゃで遊ぶ」の範疇を超えた激しさで、
ロキシーのリメイク服に
当たり散らしていました。


彼女の脳内には

「憤怒」

の二文字しか存在しなかったと思います。



脱いだばかりの服を地面に叩きつけ、
ありえない力強さで振り回し、
引きちぎりました。


成敗!という
松平健@暴れん坊将軍の声が
聞こえてきそうでした。


荒ぶるパグの前に
人は恐れおののくことしかできず、

爆誕するハズだったギャルの犬服は
みるみるうちに
ズタボロの布切れと化したのでした。
、、、


原因②服を作る理由が明確



次の原因として、

「犬にズタボロにされながらも、
 それでも服を作り続けるだけの
 モチベーションがなかった」

ことが挙げられます。


もしも裁縫が得意で、

「次こそは犬が夢心地になるほどの
 服を作るぜイエイ」
(→そしてボロぞうきんへ変換)

くらいの志があったなら、
続けることが出来たはずなんです。


ですが、
そこまでのモチベーションは
ありませんでした。


ちなみに中学生の頃、
家庭科のテストが悪すぎて、
先生に職員室に呼び出されたことがあります。

まつり縫いが絶望的にへたくそでした。


向き不向きで言ったら、
明らかに向いていません。



じゃあなんで
「犬の服を作ろう」なんて思ったのか。


彼女(犬)に
喜んで欲しかったからなんですね。

暖房の利きがあまりよくない部屋に
犬小屋があったので、、、


・・・ということは・・・


犬が喜ばないなら、
作る理由がありません、当たり前だけど。


目的がハッキリしていたので、
諦めも速かったんです。

結局、服を着せることは諦めて
犬小屋にヒーターを追加することに
したのでした。


原因③自分が欲しい感情は他で得られた


そして第3の理由として、

「自分が欲しかった感情は、
 犬の服を作らなくても得ることができた」

ことがあげられます。


犬の服を作ることで得たかった感情や思考。

オシャレな自分。

手先が器用な自分。

リメイクで環境にいいコトしている自分・・・


「犬に喜んでもらいたい」

と思いつつも、

こういった自己顕示欲的な感情も
一緒に持ち合わせていたんです。


自分ではない、
ナニモノかになろうとしていたんですね。


今のしょぼくれた自分じゃなくて、
犬の服さえ作れたら、
有能な自分になれるんじゃないか。


極端に表現してしまうと、
こういうことなんです。

今思うと
とっても滑稽なことだったなあと。

犬の服を作ろうが作らまいが、
自分の存在そのもので、
すでにOKなんですよね。

それなのに当時のわたしは、
「犬の服」という手段を諦めて

別の手段で

「有能な自分」

になろうとしていたんです。。。


ナニモノかにならなくてもいい



「ナニモノかにならなきゃいけない」

これって、
わたしみたいに迷走している人の多くが
抱いているんじゃないかな。
そう思うんです。

テレビやSNS、日々の暮らしのなかで、
わたしたちは
強迫されているような気がするんです。

有能にならなきゃ、切られる。

面白くなきゃ、いじめられる。

話を合わせなきゃ、ハブられる。

じゃあ、だれが、そんなこと言ったんだろ?


「だれかが言ったわけじゃないけど、

 でも、みんながそうしてるし…」


だれも強迫していないって、
わたしも含め、みんなが気付いても
いいのかもしれません。


当時は
せっかく作ったリメイク服を
振り回して引きちぎった彼女(犬)に

「むきーーい!」半分、
しょんぼり半分となったものでしたが、

こうして思い返してみると、

「ナニモノかにならなくてもいい」を

彼女(犬)は身をもって
教えてくれていたんだなあと感じます。


そのままでいいんだよ、と。



最後にどうでもいい話ですが、

どうやって
あのぴちぴちの服を脱いだのか、
未だにナゾなんです。

いつの日かAIの技術が発達したら、
「ぴちぴちの服を脱ぐ犬のメカニズム」
を解明出来たらいいなと思っています。



ではでは。

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